エリザベートは、結婚前はバイエルン公家・ヴィッテルスバッハ家の公女でした。
そのため、ハプスブルク家に嫁ぐために、持参する「最高級品」の品々や取り決めが多くあったのです。
このページでは、エリザベートが結婚前に用意したとされるものをまとめました。
エリザベートの持参品からは、エリザベートの実家であるヴィッテルスバッハ家の経済状況も反映されています。
一見贅沢に感じても、ウィーンの宮廷、皇后となる身分からすると、大変質素なものでした。
※参考文献は 下記 をご覧ください。
皇妃エリザベートの結婚持参品
皇妃エリザベートが結婚する際に用意したとされる品です。
エリザベートはあまり私物を現在に残していないため、多くの遺品は参考文献でしか知ることができません。
まず全体的にどれくらいの量だったのか、そして衣装にかかった費用を見ていきましょう。
- 総量:トランク25個分
- 衣装費用の総額:約5万グルデン
これだけだと少しイメージが湧かないので、現代ではどうなのか考え、具体的にしてみましょう。
19世紀の貴族たちの使用していたトランクは大きい!
エリザベートが持参したトランクの数は25個です。
19世紀の貴族たちが旅行などで使用していたトランクは大きなものでした。
大きさはさまざまでしたが、だいたい幅が100センチくらい、高さが60センチくらいで、奥行きも50センチくらいありました。
しかも革製品のため大変な重さがありました。
旅行などは貴族に許されたものではありましたが、現在のようなトランクの大きさではなく、日本の時代劇に出てくる「長持ち」のような大きさでした。
日本の姫君たちが持っていたもので、雛飾りの長持ちをイメージすると分かりやすいかもしれません。
フランス発祥のルイ・ヴィトンなどは有名で、なんとなくイメージがつくのではないでしょうか。
映画タイタニックでは、主人公の一人である貴族のローズたちが大きな荷物やトランクを持ってタイタニック号に乗り込みます。
エリザベートは皇后となるべくハプスブルク家に嫁ぐのですから、さらに大きく豪華な装飾がついたトランクだったのではないかと推測されます。
大きさは大小それぞれとしても、それらが25個もあったのです。
しかし25個のトランク数は、皇后になる身分の女性としては、かなり質素なものでした。
約5万グルテンは現在でいうとユーロ換算で約16万ユーロ、日本円で約2,500万円!
エリザベートが婚礼のための衣装にかかった費用は、約5万グルデン。
ユーロ換算で約16万ユーロ、日本円で約2,500万円でした。
エリザベートの時代の「グルデン」という通貨は現在は使われておらず、ユーロとなっています。
- 当時の一般庶民の一人当たりの年収は、1日12時間〜14時間働いて、200グルデン〜300グルデンだった
- しかも職にありついている場合であって、女性ならば男性の半分。未成年ならそのまた何分の一という額だった
- 中尉でも俸給は24グルデン、さらに下級の士官は相応に俸給は低かった
経済的に非常に苦しい時代であったものの、上記の一般庶民の所得から鑑みると、衣装に約5万グルデンはものすごい額の費用であったことが分かります。
ではさらに詳しく、どのような品物を用意したのかを見てみましょう。
皇妃エリザベートの結婚時の詳しい持参品
皇妃エリザベートがハプスブルク家に嫁ぐ際に用意したとされる詳しい持参品です。
装身具
総額:約10万グルデン
※大半は婚約期間中に新郎フランツ・ヨーゼフ1世やゾフィー大公妃から贈られたものとされます
銀製品
- 総額:約700グルデン
- 内訳:洗濯用の水入れ、小皿、鏡、コーヒーポットなど
皇妃となったエリザベートの紋章はイルカでした。
紋章は結婚前に決まっていたため、エリザベート専用の持ち物や使用品にはイルカの紋章が施されていたと考えられます。
これらは誰が決めたか不明ですが、自由を愛し、求め、コルフ島やギリシャも愛したエリザベートらしい紋章だと言えるでしょう。
「銀製品とはすごいな」と感じるかもしれませんが、エリザベートの持参した銀製品約700グルテンは、非常に質素で少ない量でした。
嫁ぎ先に所持品を披露する意味もあったため、後にエリザベートが嫌う宮廷の貴族たちが「新しい皇妃の所持品は、なんて少ないのでしょう」と思っていたことは、手に取るように分かります。
衣装
ハプスブルク家の皇后となるエリザベートの持参した衣装は次のとおり。
しかし、これでも非常に質素であったとされます。
- 舞踏会用夜会服::4着
-
- 白:2着
- ピンク:1着
- 白バラをあしらった淡青色:1着
- 晴れ着(式典用の裾の長いドレス): 17着
-
- ウェディングドレス
(白だったとされる。銀色の刺繍と白いモアレ生地のマント付き) - 白とピンクのサテンやチュールのドレス
- 宮中での弔事用の服:1着
- ウェディングドレス
- その他
-
- 黒テンの縁飾りに黒テンのマフがついた青いビロードのコート
(フランツ・ヨーゼフ1世からの贈り物だったとされる) - 絹のドレス(普段着のドレス):14着
- 夏のドレス:19着
- クリノリン:3着
- コルセット:4つ
- 乗馬用特製コルセット:3つ
- 黒テンの縁飾りに黒テンのマフがついた青いビロードのコート
当時の流行に合わせ、花柄の刺繍を施したものや、バラ、スミレ、麦わら、穂などの縁飾りが主体でした。
エリザベートの結婚時のドレスについて
気になるエリザベートのドレスについて見ていきましょう。
持ち物の一つであるクリノリンとは、女性のスカートを全体的に広げるためのもので、ペチコートとは違い、フープ状の金属や鯨骨の骨組みで作られていました。
クリノリンをスカートの下に履くことによって、当時の流行の広がりのあるスカートのドレスとなっていました。
クリノリンは、当時の貴族女性の生活に非常に重要なものでした。
皇妃エリザベートは、当時としては最先端の水洗式トイレを使用していましたが、多くの貴族女性たちは、この広がったスカートとクリノリンを使用し、用を足す際の目隠しとしても活用していました。
クリノリンは、ドレスを優雅に見せると同時に、日常生活に必要なものとしての役割も担っていました。
皇妃エリザベートの水洗式のトイレは、シシィミュージアム(シシィ博物館)で見ることができます。
エリザベートが婚礼に関連し着用したドレスはほぼ残っていません。
特にウエディングドレスは、その後はエリザベート自身が保管することなく、マリア・ターフル巡礼教会の宝物館にマントとなって保存されています。
白いモアレと銀色の刺繍が豪華なマントから、エリザベートのウエディングドレスがいかに華やかであったかを窺い知ることができます。
またアウグスティーナ教会での結婚式では、王冠を被ったとされています。
このページにはありませんが、結婚に関連する儀式などで身につけたとされる黄金のティアラは、後に皇妃エリザベートの孫によってアルトエッティング巡礼教会に寄贈されました。
現存するドレスのコピーはホーフブルク宮殿にあるシシィミュージアムなどに展示され、オリジナルは博物館などが保存しています。
シシィミュージアム(シシィ博物館)の公式サイトは 下記 からどうぞ。
装飾品
- 髪飾り:12種類(羽、バラの花びら、リンゴの花、レース、リボン、真珠など)
- 花の縁飾りや花のリース
帽子
- 総数:16種類
- 種類:白やピンクの羽飾り付き、レース帽子、麦わら帽子、野の花で飾った園芸用など
下着類
- 肌着:144着(12ダース、主にレース付きバチスト織り)
- ナイトウェア:36着(3ダース)
- 靴下:168足(14ダース、絹製または木綿製)
- モスリンと網のナイトガウン:10着
- 刺繍入りナイトキャップ:12個
- 刺繍入りモスリン製のネグリジェ用ボンネット:3個
- ナイト・ネッカチーフ:24枚
- ペチコート:72着(6ダース、ピケや絹やフランネル製)
- 「下穿き」:60着(5ダース)
- 化粧着:24着
- 入浴用の肌着:3着
宮殿には、いわゆる「風呂桶(バスタブ)」はありませんでした。これには理由があって、当時のヨーロッパでは、お風呂に入ると病気が移るとされていたためです。
しかしエリザベートは幼少期から水泳をしていたくらいで、全く気にしていませんでした。
そのため、エリザベートは宮殿に亜鉛メッキ製の風呂桶(バスタブ)を用意させました。
お風呂に関しては実際に問題はなかったと後に分かりますので、エリザベートの主張が正しかったということになります。
この風呂桶(バスタブ)も、シシィミュージアムで見ることが可能です。
靴
- 革製の長靴:6足
- その他の靴:113足(ビロードやサテンや絹製)
靴の数は多かったものの、万全ではなかったため、エリザベートはウィーンに着いてすぐに700グルデンという高い値段の靴を注文することになりました。
エリザベートた嫁いだ当時のハプスブルク家には、皇后は同じ靴を1日以上履いてはいけない慣習が残っていました。
エリザベートは耐えきれずに、後にエリザベート自身がこの慣習を廃止したとされます。
その他の持参品
- 扇:2本
- 傘:2本
- 日傘:6本(大小各3本)
- オーバーシューズ:3足
- べっこうの櫛、洋服ブラシ、髪ブラシ、爪ブラシ、歯ブラシ、靴べらなど
- ピンやヘアピンやリボンやボタンを詰めたケース:1箱
後にエリザベートの象徴となる扇も、このときはまだ2本だったことが分かります。
年を経てから、エリザベートは顔を隠すようになっていきます。
歳を重ねたエリザベートの持ち物の中には、日本や中国の扇子もありました。
エリザベートの結婚時の持参品が質素であった理由
これだけの品があっても、質素すぎる持参品はエリザベートの実家の経済事情を表しています。
母ルドヴィカはバイエルン中の工房をフル回転させましたが、時間も足りなかったのです。
また姉ヘレーネの結婚準備の品に手をつけなかったのも理由の一つであり、母として金銭的な面でも、子どもたちの気持ちの面でも、慮ったことが伺えるエピソードとなっています。
シシィミュージアム(シシィ博物館)はこちらから
シシィミュージアムでは日本語での音声ガイドもあり、ドイツ語や英語が分からなくても楽しめます。
シシィの髪飾りとして有名なシシィ・スター(星型の髪飾り)のレプリカもあるお土産ショップも併設され、シシィを感じられる場所です。
ハンガリー王妃として戴冠式に臨んだ日の豪華なドレスのコピー、夜会服のコピーでは、エリザベートが生涯死守したと言えるスタイルの良さが感じられます。
あの有名な髪飾り「シシィ・スター」を髪に咲かせたフランツ・クサーヴァー・ヴィンターハルターの肖像画は一見の価値があるでしょう。
ホーフブルク宮殿にあるシシィミュージアム(シシィ博物館)
公式サイトは こちら からどうぞ。
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参考文献
このページの参考文献は以下のとおりです。
- ブリギッテ・ハーマン著/中村康之訳 「エリザベート 美しき皇妃の伝説」 上 ISBN-13 978-4-02-261488-9
- ブリギッテ・ハーマン著/中村康之訳 「エリザベート 美しき皇妃の伝説」 下 ISBN 978-4-02-261489-6
- 南川三治郎 写真・文 「皇妃エリザベート 永遠の美」 ISBN 4-418-06515-6
- 毎日放送 「皇妃エリザベート展」
- NHKプロモーション 「輝ける皇妃 エリザベート展」
全ての参考文献は、こちら からご覧ください。
>> 皇妃エリザベートがフランツ・ヨーゼフ1世と結婚するまで(タイムライン)を見てみる(準備中)
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注釈
- Wikimedia commonsより
フランツ・クサーヴァー・ヴィンターハルター作 「Empress Elisabeth of Austria in Courtly Gala Dress with Diamond Stars」 ↩︎