皇妃エリザベートは、シシィという愛称で親しまれているオーストリア皇后です。
類稀なる美貌と波乱に満ちた生涯で、今でも人々を魅了し続けています。
フランツ・ヨーゼフ1世に見初められ、16歳でハプスブルク家に嫁ぎました。
4人の子どもに恵まれますが、エリザベートにとって宮廷はとても窮屈なものでした。
肺の病の療養で宮廷を抜け出した、悲哀に輝く皇妃エリザベート。
以降、生涯のほとんどを流浪の旅人として過ごすのでした。
皇妃エリザベートの人物データ
皇妃エリザベート
全名
エリーザベト・アマーリエ・オイゲーニエ・マリア・カイザリン・フォン・エスターライヒ
Elisabeth Amalie Eugenie Maria, Kaiserin von Österreich
生年月日〜没年月日
1837年12月24日〜1898年9月10日
性別
女性
伴侶
オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世
愛称
シシィ、シシー、シッシー、Sissi、Sissy、Sisi
※エリザベートをエリザベスと読む場合、愛称はリシィとなる。
そこからシシィとなったとも言われている。
主な称号
- オーストリア皇后
- ハンガリー王妃(公式な称号:アポストリック・ハンガリー王妃)ほか
在位期間
- オーストリア皇后:1854年4月24日〜1898年9月10日
- ハンガリー王妃:1867年6月8日〜1898年9月10日
戴冠式
- オーストリア皇后:1854年4月24日
- ハンガリー王妃:1867年6月8日
※マーチャーシュ聖堂にて、午前9時から行われた。
生誕地
バイエルン王国、ミュンヘン、父マクシミリアン・ヨーゼフ邸
※第二次世界大戦で焼失
死去時の年齢と場所
60歳
スイス、ジュネーブ、レマン湖畔、ボーリヴァージュホテル
埋葬地
肉体:オーストリア、ウィーン、カプツィーナ教会
- コルフ島に散骨を願ったが、叶えられなかった。
遺体はジュネーブからウィーンに運ばれる際に防腐処置され、遺体の保存が行われた。 - ハプスブルク家では、伝統に則り肉体、心臓、内臓を別々に埋葬していたが、フランツ・カール大公以降、この伝統は変わり、エリザベートも肉体、心臓、内臓が一体で埋葬された。
両親
- 父:マクシミリアン・ヨーゼフ公爵
- 母:ルドヴィカ・ヴィルヘルミーネ王女/公爵夫人
子どもたち
- ゾフィー大公女(幼くして夭折)
- ギーゼラ・ルイーゼ王女(バイエルン王太子妃/バイエルン王国廃止後バイエルン公爵夫人)
- ルドルフ皇太子
- マリー・ヴァレリー大公女
性格
自由奔放、気分屋、ロマンティスト、内向的、孤独
趣味・愛用品
乗馬、散歩、旅、運動、ダイエット、詩作、ハンガリー文化愛、ギリシャ文化愛
選帝侯/選帝権の有無
−
皇妃エリザベート
全名
エリーザベト・アマーリエ・オイゲーニエ・マリア・カイザリン・フォン・エスターライヒ
Elisabeth Amalie Eugenie Maria, Kaiserin von Österreich
生年月日〜没年月日
1837年12月24日〜1898年9月10日
性別
女性
伴侶
オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世
愛称
シシィ、シシー、シッシー、Sissi、Sissy、Sisi
※エリザベートをエリザベスと読む場合、愛称はリシィとなる。
そこからシシィとなったとも言われている。
主な称号
- オーストリア皇后
- ハンガリー王妃(公式な称号:アポストリック・ハンガリー王妃)
在位期間
- オーストリア皇后:1854年4月24日〜1898年9月10日
- ハンガリー王妃:1867年6月8日〜1898年9月10日
戴冠式
- オーストリア皇后:1854年4月24日
- ハンガリー王妃:1867年6月8日
※マーチャーシュ聖堂にて、午前9時から行われた。
生誕地
バイエルン王国、ミュンヘン、父マクシミリアン・ヨーゼフ邸
※第二次世界大戦で焼失
死去時の年齢と場所
60歳
スイス、ジュネーブ、レマン湖畔、ボーリヴァージュホテル
埋葬地
肉体:オーストリア、ウィーン、カプツィーナ教会
- コルフ島に散骨を願ったが、叶えられなかった。
遺体はジュネーブからウィーンに運ばれる際に防腐処置され、遺体の保存が行われた。 - ハプスブルク家では、伝統に則り肉体、心臓、内臓を別々に埋葬していたが、フランツ・カール大公以降、この伝統は変わり、エリザベートも肉体、心臓、内臓が一体で埋葬された。
両親
- 父:マクシミリアン・ヨーゼフ公爵
- 母:ルドヴィカ・ヴィルヘルミーネ王女/公爵夫人
子どもたち
- ゾフィー大公女(幼くして夭折)
- ギーゼラ・ルイーゼ王女(バイエルン王太子妃/バイエルン王国廃止後バイエルン公爵夫人)
- ルドルフ皇太子
- マリー・ヴァレリー大公女
性格
自由奔放、気分屋、ロマンティスト、内向的、孤独
趣味・愛用品
乗馬、散歩、旅、運動、ダイエット、詩作、ハンガリー文化愛、ギリシャ文化愛
選帝侯/選帝権の有無
−
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皇妃エリザベートの完全な全名や由来
皇妃エリザベートの完全な全名や由来
全名の他の言語の綴り
- ハンガリー語:Erzsébet Amália Eugénia Mária, Ausztria Császárnéja
- チェコ語:Alžběta Amálie Evženie Marie, Císařovna Rakouská
- 英語/US:Elisabeth Amalie Eugenie Maria, Empress of Austria
完全な全名(洗礼名を含む)
エリザベート・アマーリエ・オイゲーニエ・マリア・カイザリン・フォン・エスターライヒ
完全な全名(洗礼名を含む)の綴りと読み
- ドイツ語:Elisabeth Amalie Eugenie Maria, Kaiserin von Österreich
- 読み:エリザベート・アマーリエ・オイゲーニー・マリア、カイザーリン・フォン・エスターライヒ
- ハンガリー語:Erzsébet Amália Eugénia Mária, Ausztria Császárnéja
- 読み:エルジェーベト・アマーリア・エウジェーニア・マリア、アウストリア・チャーサールネーヤ
- チェコ語:Alžběta Amálie Evženie Marie, Císařovna Rakouská
- 読み:アルジュビェタ・アマーリエ・エヴジェニーエ・マリエ、ツィーサルジョヴナ・ラクースカー
- 英語/US:Elisabeth Amalie Eugenie Maria, Empress of Austria
- 読み:エリザベート・アマーリエ・オイゲーニー・マリア、エンプレス・オブ・オーストリア
出生名・洗礼名
エリザベート・アマーリエ・オイゲーニエ
Elisabeth Amalie Eugenie
旧姓名
エリザベート・アマーリエ・オイゲーニエ・イン・ヴィッテルスバッハ
Elisabeth Amalie Eugenie in Wittelsbach
名付け親
プロイセン王妃エリーゼ
※ゾフィー大公妃の姉、プロイセン王妃
由来
- アマーリエ(Amalie):エリザベートの母方の祖母、アマーリエ・アウグステ・フォン・バイエルンに由来。
- オイゲーニエ(Eugenie):エリザベートの母、ルドヴィカ・ヴィルヘルミーネ・フォン・バイエルンの姉妹の名前に由来。
洗礼名
マリア(Maria)
※洗礼名として追加。カトリックの伝統により、多くの女性の名前に「マリア」が含まれる。
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皇妃エリザベートのその他の称号と尊称
皇妃エリザベートのその他の称号と尊称
その他の称号
- ボヘミア王妃
- クロアチア王妃ほか
主な尊称
- オーストリア皇后陛下
- ハンガリー王妃陛下(公式な称号:アポストリック・ハンガリー王妃陛下)
- ボヘミア王妃陛下
- クロアチア王妃陛下ほか
尊称の綴りと読み
オーストリア皇后陛下
- ドイツ語:Ihre Majestät die Kaiserin von Österreich
- 読み:イーレ・マイエステート・ディ・カイゼリン・フォン・エスターライヒ
- 英語/US:Her Majesty the Empress of Austria
- 読み:ハー・マジェスティ・ジ・エンプレス・オブ・オーストリア
ハンガリー王妃陛下(公式な称号:アポストリック・ハンガリー王妃陛下)
- ハンガリー語:Őfelsége a Magyar Királyné(Őfelsége az Apostoli Magyar Királyné)
- 読み:ウーフェルシェーゲ・ア・マジャル・キラーイネー(ウーフェルシェーゲ・アズ・アポストリ・マジャル・キラーイネー)
- 英語/US:Her Majesty the Queen of Hungary(Her Majesty the Apostolic Queen of Hungary)
- 読み:ハー・マジェスティ・ザ・クイーン・オブ・ハンガリー(ハー・マジェスティ・ジ・アポストリック・クイーン・オブ・ハンガリー)
ボヘミア王妃陛下
- ドイツ語:Ihre Majestät die Königin von Böhmen
- 読み:イーレ・マイエステート・ディ・ケーニギン・フォン・ベーメン
- チェコ語:Její Veličenstvo česká královna
- 読み:イェイー・ヴェリチェンストヴォ・チェスカー・クラーロヴナー
- 英語/US:Her Majesty the Queen of Bohemia
- 読み:ハー・マジェスティ・ザ・クイーン・オブ・ボヘミア
クロアチア王妃陛下
- ドイツ語:Ihre Majestät die Königin von Kroatien
- 読み:イーレ・マイエステート・ディ・ケーニギン・フォン・クロアティエン
- クロアチア語:Njezino Veličanstvo Kraljica Hrvatske
- 読み:ニェジノ・ヴェリチャンストヴォ・クラリツァ・フルヴァツケ
- 英語/US:Her Majesty the Queen of Croatia
- 読み:ハー・マジェスティ・ザ・クイーン・オブ・クロアチア
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皇妃エリザベートの家系と家族
皇妃エリザベートの家系と家族
家系
オーストリア帝国 / ハプスブルク=ロートリンゲン家
- 結婚後:ハプスブルク=ロートロンゲン家
- 出身:バイエルン公家/ヴィッテルスバッハ家
家族
伴侶の詳細
オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世
全名:フランツ・ヨーゼフ・カール・フォン・エスターライヒ
綴り:Franz Joseph Karl von Österreich
両親
父:マクシミリアン・ヨーゼフ公爵
全名:マクシミリアン・ヨーゼフ・イン・バイエルン
綴り:Herzog Maximilian Joseph in Bayern
母:ルドヴィカ・ヴィルヘルミーネ王女/公爵夫人
全名:ルドヴィカ・ヴィルヘルミーネ・フォン・バイエルン
綴り:Prinzessin Ludovika Wilhelmine von Bayern
※当時のバイエルン王国の王女は、結婚後も「王女」の称号を持っていた。
兄弟姉妹
ルートヴィヒ・ヴィルヘルム公爵
全名:ルートヴィヒ・ヴィルヘルム・イン・バイエルン
綴り:Ludwig Wilhelm in Bayern
ヴィルヘルム・カール(夭折)
全名:ヴィルヘルム・カール・イン・バイエルン
綴り:Wilhelm Karl in Bayern
ヘレーネ・トゥルン・ウント・タクシス侯爵夫人
全名:ヘレーネ・カロリーネ・テレーゼ・イン・バイエルン
綴り:Helene Caroline Therese in Bayern
カール・テオドール公爵
全名:カール・テオドール・イン・バイエルン
綴り:Karl Theodor in Bayern
マリー・ゾフィー・ブルボン・シチリア王妃
全名:マリー・ゾフィー・アマーリエ・イン・バイエルン
綴り:Marie Sophie Amalie in Bayern
マティルダ・ルドヴィカ・ブルボン・シチリア伯爵夫人
全名:マティルダ・ルドヴィカ・イン・バイエルン
綴り:Mathilde Ludovika in Bayern
マクシミリアン(死産または夭折)
全名:マクシミリアン・イン・バイエルン
綴り:Maximilian in Bayern
ゾフィー・シャルロッテ・バイエルン公女(もとアランソン公爵婦人、後に離婚)
全名:ゾフィー・シャルロッテ・アウグステ・イン・バイエルン
綴り:Sophie Charlotte Auguste in Bayern
マクシミリアン・エマヌエル公爵
全名:マクシミリアン・エマヌエル・イン・バイエルン
綴り:Maximilian Emanuel in Bayern
子どもたち
ゾフィー大公女(幼くして夭折)
全名:ゾフィー・フレデリケ・ドロテア・マリア・ヨーゼファ・フォン・エスターライヒ
綴り:Sophie Friederike Dorothea Maria Josepha von Österreich, Erzherzogin von Österreich
ギーゼラ・ルイーゼ王女(バイエルン王太子妃/バイエルン王国廃止後バイエルン公爵夫人)
全名:ギーゼラ・ルイーゼ・マリエ・フォン・バイエルン
綴り:Gisela Louise Marie von Bayern, Prinzessin von Bayern
※バイエルン王国廃止後はバイエルン公爵夫人を名乗った。
ルドルフ皇太子(マイヤーリング事件で情死とされる)
全名:ルドルフ・フランツ・カール・ヨーゼフ・フォン・エスターライヒ
綴り:Rudolf Franz Karl Joseph von Österreich, Kronprinz von Österreich, Ungarn und Böhmen
マリー・ヴァレリー大公女(トスカーナ大公妃)
全名:マリー・ヴァレリー・マティルダ・アマーリエ・フォン・エスターライヒ
綴り:Marie Valerie Mathilde Amalie von Österreich, Erzherzogin von Österreich, Großherzogin der Toskana
音声付き:皇妃エリザベートの簡易エピソード
人物データのページでは、エピソードは簡易版です。
詳細な史実エピソードは 下記 からご覧ください。
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- 音が出ますので、お気をつけください。
【ご挨拶】
皇妃エリザベートの生い立ち
1837年12月24日のクリスマスイブに、エリザベートはバイエルンの父マクシミリアン・ヨーゼフの館で産声をあげた。
12月24日生まれは非常に縁起が良いとされていたため、ヴィッテルスバッハ家では大いに喜ばれた。
エリザベートは父の自由奔放な性格を大きく受け継いで育った。
バイエルンのポッセンホーフェンにはヴィッテルスバッハ家の別荘があり、マクシミリアン・ヨーゼフ公爵一家は夏になるとよく滞在した。
エリザベートはポッセンホーフェンでも乗馬を楽しみ、近くのシュタルンベルク湖で泳ぎ、天真爛漫に自由にのびのびと育っていった。
フランツ・ヨーゼフ1世との出会いから結婚まで
エリザベートは15歳のとき、姉へレーネのお見合いのため、バート・イシュルまでついて行った。
しかし姉ではなく、エリザベートがフランツ・ヨーゼフ1世に見初められてしまう。
驚いたエリザベートだったが、皇帝からの求婚は断れないと母に告げられる。
そのため、エリザベート自身も訳が分からないうちに結婚を承諾することになった。
すぐにバート・イシュルの教会教区において、1853年8月19日にフランツ・ヨーゼフ1世とエリザベートの婚約式が執り行われた。
婚約から8カ月後、エリザベートはウィーンに渡り結婚。16歳でオーストリア皇后となった。
慣れないしきたりとゾフィー大公妃との確執
慣れないハプスブルク家のしきたりの中で、自由を得るべく奮闘するエリザベート。
しかしまだ幼いエリザベートは、ハプスブルク家の慣習に縛り付けられていく。
エリザベートは長女ゾフィー、次女ギーゼラを出産するも、ハプスブルク家の慣例により、子育ての権利をゾフィー大公妃に奪われてしまったのだ。
義母であり伯母であるゾフィー大公妃との間に、徐々に溝ができていった。
それでも変わらず自由を求め続けたエリザベートは、ハンガリーへの旅に子どもたちも連れて行くことにする。
しかしそこで子どもたちが病にかかり、長女ゾフィーが亡くなってしまう。
激しく悲しんだエリザベートだが、長女ゾフィーを亡くしたことで、自ら子育てに手を出さなくなっていく。
1858年、エリザベートはついに待望の男子、ルドルフ皇太子を出産。
しかしエリザベート自身の精神も限界に達し、肺を病み、スペイン・マデイラ島へ療養の旅に出る。
転地療養から皇妃エリザベートの旅が始まった。
旅先でエリザベートは自信を取り戻していく。
エリザベートの流浪の旅は、生涯に渡って続いていくこととなる。
皇妃エリザベートとハンガリー
皇妃エリザベートとハンガリーの繋がりは深い。
1867年6月8日、オーストリア=ハンガリー二重帝国が成立。
ハンガリーの首都ブダペストにあるマーチャーシュ聖堂で、フランツ・ヨーゼフ1世とエリザベートの戴冠式が行われた。
ハンガリーでの戴冠式は、オーストリア=ハンガリー二重帝国の成立を象徴する重要な出来事だった。
フランツ・ヨーゼフ1世がハンガリー王となったことで、ハンガリーは オーストリア帝国内で対等の地位を得たことになる。
エリザベートがハンガリーの王妃となったことも、ハンガリーの国民にとって大きな意味があった。
エリザベートはハンガリーに対し強い愛を持っており、ハンガリーの国民からとても人気があったのだ。
オーストリアとハンガリーの二重帝国成立に尽力した功績がある一方で、エリザベートの政治的な影響力は限定的だった。
皇妃エリザベートを襲う悲劇
エリザベートの生涯において忘れてはならないのは、ルドルフ皇太子が情死したマイヤーリング事件である。
ハプスブルク家としても前代未聞の大事件であった。
この時エリザベートは悲しみに打ちひしがれ、心の底から自分を責めたという。
ルドルフ皇太子の死後エリザベートは、ほぼ黒い服(喪服)で過ごすこととなる。
自由を愛し、宮廷のしきたりに縛られることを嫌ったエリザベート。
しかしその反面、悲劇的な別れを多くその身に受け続けることになる。
娘ゾフィー、姉へレーネ、妹ゾフィー、親族のルートヴィヒ2世が、自分より先に亡くなっていった。
そして1898年9月10日、ついにエリザベート自身も、スイスのジュネーブ、レマン湖畔において暗殺されるのである。
皇妃エリザベート、60歳だった。
近代史のシンデレラ・皇妃エリザベート、今は静かに眠る
エリザベートは、皇后という誰もが憧れる身分でありながら、自由を求め彷徨いさすらい、自身の美貌で人々を魅了し続けた。
今エリザベートの肉体は、ハプスブルク家の霊廟カプツィーナ教会に眠る。
ある意味では時代の先駆者であった、オーストリア皇后エリザベート。
時代がエリザベートに追いつくのは、まだ少し先の話となる。
詳細記事一覧
さらに詳細な記事もどうぞご覧ください。
参考文献
皇妃エリザベートの参考文献一覧です。
参考書籍
- ブリギッテ・ハーマン著/中村康之訳 「エリザベート 美しき皇妃の伝説」 上 ISBN 978-4-02-261488-9
- ブリギッテ・ハーマン著/中村康之訳 「エリザベート 美しき皇妃の伝説」 下 ISBN 978-4-02-261489-6
- 須貝典子著/片野優・写真 「美しき皇妃エリザベート」 ISBN-13 978-4309228761
- 沖島博美著 「皇妃エリザベートをめぐる旅 ドイツ・オーストリア・ハンガリー シシィの足跡をたずねて」 ISBN 978-4309226842
- 毎日放送 「皇妃エリザベート展」
- NHKプロモーション 「輝ける皇妃 エリザベート展」
- 南川三治郎 写真・文 「皇妃エリザベート 永遠の美」 ISBN 4-418-06515-6
- 森実与子著 「エリザベート 美と旅に生きた彷徨の皇妃」 ISBN 978-4-404-04017-6
- 桐生操著 「新訳 皇妃エリザベートとふたりの男たち」 ISBN 978-4062201926
- 名香智子著/ジャンデ・カール原作/塚本哲也 監修・解説 「マンガ 皇妃エリザベート」 ISBN 4-06-256488-2
- 川島ルミ子著 「最期の日のマリー・アントワネット ハプスブルク家の連続悲劇」978-4-06-281517-8
- 中野京子著 「名画で読み解く ハプスブルク家 12の物語」 ISBN 978-4-334-03469-6
- 川成洋 編集者代表/菊池良生 佐竹謙一 編者 「ハプスブルク事典」 ISBN 978-4-621-30681-9
皇妃エリザベートの参考書籍一覧は こちら からどうぞ。