皇妃エリザベートの生涯と
ハプスブルク家
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皇妃エリザベート(1837年〜1898年)

皇妃エリザベートは、シシィという愛称で親しまれているオーストリア皇后です。

類稀なる美貌と波乱に満ちた生涯で、今でも人々を魅了し続けています。

フランツ・ヨーゼフ1世に見初められ、16歳でハプスブルク家に嫁ぎました。

4人の子どもに恵まれますが、エリザベートにとって宮廷はとても窮屈なものでした。

肺の病の療養で宮廷を抜け出した、悲哀に輝く皇妃エリザベート。

以降、生涯のほとんどを流浪の旅人として過ごすのでした。

皇妃エリザベート(1837年〜1898年)
このページの内容
皇妃エリザベート
皇妃エリザベート/パブリックドメイン

皇妃エリザベート

エリーザベト・アマーリエ・オイゲーニエ・マリア・カイザリン・フォン・エスターライヒ
Elisabeth Amalie Eugenie Maria, Kaiserin von Österreich

生年月日〜没年月日

1837年12月24日〜1898年9月10日

性別

女性

伴侶

オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世

愛称

シシィ、シシー、シッシー、Sissi、Sissy、Sisi

※エリザベートをエリザベスと読む場合、愛称はリシィとなる。
そこからシシィとなったとも言われている。

主な称号

  • オーストリア皇后
  • ハンガリー王妃(公式な称号:アポストリック・ハンガリー王妃)ほか

在位期間

  • オーストリア皇后:1854年4月24日〜1898年9月10日
  • ハンガリー王妃:1867年6月8日〜1898年9月10日

戴冠式

  • オーストリア皇后:1854年4月24日
  • ハンガリー王妃:1867年6月8日

※マーチャーシュ聖堂にて、午前9時から行われた。

生誕地

バイエルン王国、ミュンヘン、父マクシミリアン・ヨーゼフ邸
※第二次世界大戦で焼失

死去時の年齢と場所

60歳
スイス、ジュネーブ、レマン湖畔、ボーリヴァージュホテル

埋葬地

肉体:オーストリア、ウィーン、カプツィーナ教会

  • コルフ島に散骨を願ったが、叶えられなかった。
    遺体はジュネーブからウィーンに運ばれる際に防腐処置され、遺体の保存が行われた。
  • ハプスブルク家では、伝統に則り肉体、心臓、内臓を別々に埋葬していたが、フランツ・カール大公以降、この伝統は変わり、エリザベートも肉体、心臓、内臓が一体で埋葬された。

両親

  • 父:マクシミリアン・ヨーゼフ公爵
  • 母:ルドヴィカ・ヴィルヘルミーネ王女/公爵夫人

子どもたち

  • ゾフィー大公女(幼くして夭折)
  • ギーゼラ・ルイーゼ王女(バイエルン王太子妃/バイエルン王国廃止後バイエルン公爵夫人
  • ルドルフ皇太子
  • マリー・ヴァレリー大公女

性格

自由奔放、気分屋、ロマンティスト、内向的、孤独

趣味・愛用品

乗馬、散歩、旅、運動、ダイエット、詩作、ハンガリー文化愛、ギリシャ文化愛

選帝侯/選帝権の有無

皇妃エリザベート
皇妃エリザベート/パブリックドメイン

皇妃エリザベート

全名

エリーザベト・アマーリエ・オイゲーニエ・マリア・カイザリン・フォン・エスターライヒ
Elisabeth Amalie Eugenie Maria, Kaiserin von Österreich

生年月日〜没年月日

1837年12月24日〜1898年9月10日

性別

女性

伴侶

オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世

愛称

シシィ、シシー、シッシー、Sissi、Sissy、Sisi

※エリザベートをエリザベスと読む場合、愛称はリシィとなる。
そこからシシィとなったとも言われている。

主な称号

  • オーストリア皇后
  • ハンガリー王妃(公式な称号:アポストリック・ハンガリー王妃)

在位期間

  • オーストリア皇后:1854年4月24日〜1898年9月10日
  • ハンガリー王妃:1867年6月8日〜1898年9月10日

戴冠式

  • オーストリア皇后:1854年4月24日
  • ハンガリー王妃:1867年6月8日

※マーチャーシュ聖堂にて、午前9時から行われた。

生誕地

バイエルン王国、ミュンヘン、父マクシミリアン・ヨーゼフ邸
※第二次世界大戦で焼失

死去時の年齢と場所

60歳
スイス、ジュネーブ、レマン湖畔、ボーリヴァージュホテル

埋葬地

肉体:オーストリア、ウィーン、カプツィーナ教会

  • コルフ島に散骨を願ったが、叶えられなかった。
    遺体はジュネーブからウィーンに運ばれる際に防腐処置され、遺体の保存が行われた。
  • ハプスブルク家では、伝統に則り肉体、心臓、内臓を別々に埋葬していたが、フランツ・カール大公以降、この伝統は変わり、エリザベートも肉体、心臓、内臓が一体で埋葬された。

両親

  • 父:マクシミリアン・ヨーゼフ公爵
  • 母:ルドヴィカ・ヴィルヘルミーネ王女/公爵夫人

子どもたち

  • ゾフィー大公女(幼くして夭折)
  • ギーゼラ・ルイーゼ王女(バイエルン王太子妃/バイエルン王国廃止後バイエルン公爵夫人
  • ルドルフ皇太子
  • マリー・ヴァレリー大公女

性格

自由奔放、気分屋、ロマンティスト、内向的、孤独

趣味・愛用品

乗馬、散歩、旅、運動、ダイエット、詩作、ハンガリー文化愛、ギリシャ文化愛

選帝侯/選帝権の有無

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皇妃エリザベートの完全な全名や由来

全名の他の言語の綴り

  • ハンガリー語:Erzsébet Amália Eugénia Mária, Ausztria Császárnéja
  • チェコ語:Alžběta Amálie Evženie Marie, Císařovna Rakouská
  • 英語/US:Elisabeth Amalie Eugenie Maria, Empress of Austria

完全な全名(洗礼名を含む)

エリザベート・アマーリエ・オイゲーニエ・マリア・カイザリン・フォン・エスターライヒ

完全な全名(洗礼名を含む)の綴りと読み

  • ドイツ語:Elisabeth Amalie Eugenie Maria, Kaiserin von Österreich
  • 読み:エリザベート・アマーリエ・オイゲーニー・マリア、カイザーリン・フォン・エスターライヒ
  • ハンガリー語:Erzsébet Amália Eugénia Mária, Ausztria Császárnéja
  • 読み:エルジェーベト・アマーリア・エウジェーニア・マリア、アウストリア・チャーサールネーヤ
  • チェコ語:Alžběta Amálie Evženie Marie, Císařovna Rakouská
  • 読み:アルジュビェタ・アマーリエ・エヴジェニーエ・マリエ、ツィーサルジョヴナ・ラクースカー
  • 英語/US:Elisabeth Amalie Eugenie Maria, Empress of Austria
  • 読み:エリザベート・アマーリエ・オイゲーニー・マリア、エンプレス・オブ・オーストリア

出生名・洗礼名

エリザベート・アマーリエ・オイゲーニエ
Elisabeth Amalie Eugenie

旧姓名

エリザベート・アマーリエ・オイゲーニエ・イン・ヴィッテルスバッハ
Elisabeth Amalie Eugenie in Wittelsbach

名付け親

プロイセン王妃エリーゼ
※ゾフィー大公妃の姉、プロイセン王妃

由来

  • アマーリエ(Amalie):エリザベートの母方の祖母、アマーリエ・アウグステ・フォン・バイエルンに由来。
  • オイゲーニエ(Eugenie):エリザベートの母、ルドヴィカ・ヴィルヘルミーネ・フォン・バイエルンの姉妹の名前に由来。

洗礼名

マリア(Maria)
※洗礼名として追加。カトリックの伝統により、多くの女性の名前に「マリア」が含まれる。

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皇妃エリザベートのその他の称号と尊称

その他の称号

  • ボヘミア王妃
  • クロアチア王妃ほか

主な尊称

  • オーストリア皇后陛下
  • ハンガリー王妃陛下(公式な称号:アポストリック・ハンガリー王妃陛下)
  • ボヘミア王妃陛下
  • クロアチア王妃陛下ほか

尊称の綴りと読み

オーストリア皇后陛下

  • ドイツ語:Ihre Majestät die Kaiserin von Österreich
  • 読み:イーレ・マイエステート・ディ・カイゼリン・フォン・エスターライヒ
  • 英語/US:Her Majesty the Empress of Austria
  • 読み:ハー・マジェスティ・ジ・エンプレス・オブ・オーストリア

ハンガリー王妃陛下(公式な称号:アポストリック・ハンガリー王妃陛下)

  • ハンガリー語:Őfelsége a Magyar Királyné(Őfelsége az Apostoli Magyar Királyné)
  • 読み:ウーフェルシェーゲ・ア・マジャル・キラーイネー(ウーフェルシェーゲ・アズ・アポストリ・マジャル・キラーイネー)
  • 英語/US:Her Majesty the Queen of Hungary(Her Majesty the Apostolic Queen of Hungary)
  • 読み:ハー・マジェスティ・ザ・クイーン・オブ・ハンガリー(ハー・マジェスティ・ジ・アポストリック・クイーン・オブ・ハンガリー)

ボヘミア王妃陛下

  • ドイツ語:Ihre Majestät die Königin von Böhmen
  • 読み:イーレ・マイエステート・ディ・ケーニギン・フォン・ベーメン
  • チェコ語:Její Veličenstvo česká královna
  • 読み:イェイー・ヴェリチェンストヴォ・チェスカー・クラーロヴナー
  • 英語/US:Her Majesty the Queen of Bohemia
  • 読み:ハー・マジェスティ・ザ・クイーン・オブ・ボヘミア

クロアチア王妃陛下

  • ドイツ語:Ihre Majestät die Königin von Kroatien
  • 読み:イーレ・マイエステート・ディ・ケーニギン・フォン・クロアティエン
  • クロアチア語:Njezino Veličanstvo Kraljica Hrvatske
  • 読み:ニェジノ・ヴェリチャンストヴォ・クラリツァ・フルヴァツケ
  • 英語/US:Her Majesty the Queen of Croatia
  • 読み:ハー・マジェスティ・ザ・クイーン・オブ・クロアチア
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皇妃エリザベートの家系と家族

家系

オーストリア帝国 / ハプスブルク=ロートリンゲン家

  • 結婚後:ハプスブルク=ロートロンゲン家
  • 出身:バイエルン公家/ヴィッテルスバッハ家

家族

伴侶の詳細

オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世
全名:フランツ・ヨーゼフ・カール・フォン・エスターライヒ
綴り:Franz Joseph Karl von Österreich

両親

父:マクシミリアン・ヨーゼフ公爵
全名:マクシミリアン・ヨーゼフ・イン・バイエルン
綴り:Herzog Maximilian Joseph in Bayern

母:ルドヴィカ・ヴィルヘルミーネ王女/公爵夫人
全名:ルドヴィカ・ヴィルヘルミーネ・フォン・バイエルン
綴り:Prinzessin Ludovika Wilhelmine von Bayern
※当時のバイエルン王国の王女は、結婚後も「王女」の称号を持っていた。

兄弟姉妹

ルートヴィヒ・ヴィルヘルム公爵
全名:ルートヴィヒ・ヴィルヘルム・イン・バイエルン
綴り:Ludwig Wilhelm in Bayern

ヴィルヘルム・カール(夭折)
全名:ヴィルヘルム・カール・イン・バイエルン
綴り:Wilhelm Karl in Bayern

ヘレーネ・トゥルン・ウント・タクシス侯爵夫人
全名:ヘレーネ・カロリーネ・テレーゼ・イン・バイエルン
綴り:Helene Caroline Therese in Bayern

カール・テオドール公爵
全名:カール・テオドール・イン・バイエルン
綴り:Karl Theodor in Bayern

マリー・ゾフィー・ブルボン・シチリア王妃
全名:マリー・ゾフィー・アマーリエ・イン・バイエルン
綴り:Marie Sophie Amalie in Bayern

マティルダ・ルドヴィカ・ブルボン・シチリア伯爵夫人
全名:マティルダ・ルドヴィカ・イン・バイエルン
綴り:Mathilde Ludovika in Bayern

マクシミリアン(死産または夭折)
全名:マクシミリアン・イン・バイエルン
綴り:Maximilian in Bayern

ゾフィー・シャルロッテ・バイエルン公女(もとアランソン公爵婦人、後に離婚)
全名:ゾフィー・シャルロッテ・アウグステ・イン・バイエルン
綴り:Sophie Charlotte Auguste in Bayern

マクシミリアン・エマヌエル公爵
全名:マクシミリアン・エマヌエル・イン・バイエルン
綴り:Maximilian Emanuel in Bayern

子どもたち

ゾフィー大公女(幼くして夭折)
全名:ゾフィー・フレデリケ・ドロテア・マリア・ヨーゼファ・フォン・エスターライヒ
綴り:Sophie Friederike Dorothea Maria Josepha von Österreich, Erzherzogin von Österreich

ギーゼラ・ルイーゼ王女(バイエルン王太子妃/バイエルン王国廃止後バイエルン公爵夫人)
全名:ギーゼラ・ルイーゼ・マリエ・フォン・バイエルン
綴り:Gisela Louise Marie von Bayern, Prinzessin von Bayern
※バイエルン王国廃止後はバイエルン公爵夫人を名乗った。

ルドルフ皇太子(マイヤーリング事件で情死とされる)
全名:ルドルフ・フランツ・カール・ヨーゼフ・フォン・エスターライヒ
綴り:Rudolf Franz Karl Joseph von Österreich, Kronprinz von Österreich, Ungarn und Böhmen

マリー・ヴァレリー大公女(トスカーナ大公妃)
全名:マリー・ヴァレリー・マティルダ・アマーリエ・フォン・エスターライヒ
綴り:Marie Valerie Mathilde Amalie von Österreich, Erzherzogin von Österreich, Großherzogin der Toskana

人物データのページでは、エピソードは簡易版です。

詳細な史実エピソードは 下記 からご覧ください。

皇妃エリザベート簡易エピソード
皇妃エリザベート簡易エピソード
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【ご挨拶】

皇妃エリザベートの生い立ち

1837年12月24日のクリスマスイブに、エリザベートはバイエルンの父マクシミリアン・ヨーゼフの館で産声をあげた。

12月24日生まれは非常に縁起が良いとされていたため、ヴィッテルスバッハ家では大いに喜ばれた。

エリザベートは父の自由奔放な性格を大きく受け継いで育った。

バイエルンのポッセンホーフェンにはヴィッテルスバッハ家の別荘があり、マクシミリアン・ヨーゼフ公爵一家は夏になるとよく滞在した。

エリザベートはポッセンホーフェンでも乗馬を楽しみ、近くのシュタルンベルク湖で泳ぎ、天真爛漫に自由にのびのびと育っていった。

フランツ・ヨーゼフ1世との出会いから結婚まで

エリザベートは15歳のとき、姉へレーネのお見合いのため、バート・イシュルまでついて行った。

しかし姉ではなく、エリザベートがフランツ・ヨーゼフ1世に見初められてしまう。

驚いたエリザベートだったが、皇帝からの求婚は断れないと母に告げられる。

そのため、エリザベート自身も訳が分からないうちに結婚を承諾することになった。

すぐにバート・イシュルの教会教区において、1853年8月19日にフランツ・ヨーゼフ1世とエリザベートの婚約式が執り行われた。

婚約から8カ月後、エリザベートはウィーンに渡り結婚。16歳でオーストリア皇后となった。

慣れないしきたりとゾフィー大公妃との確執

慣れないハプスブルク家のしきたりの中で、自由を得るべく奮闘するエリザベート。

しかしまだ幼いエリザベートは、ハプスブルク家の慣習に縛り付けられていく。

エリザベートは長女ゾフィー、次女ギーゼラを出産するも、ハプスブルク家の慣例により、子育ての権利をゾフィー大公妃に奪われてしまったのだ。

義母であり伯母であるゾフィー大公妃との間に、徐々に溝ができていった。

それでも変わらず自由を求め続けたエリザベートは、ハンガリーへの旅に子どもたちも連れて行くことにする。

しかしそこで子どもたちが病にかかり、長女ゾフィーが亡くなってしまう。

激しく悲しんだエリザベートだが、長女ゾフィーを亡くしたことで、自ら子育てに手を出さなくなっていく。

1858年、エリザベートはついに待望の男子、ルドルフ皇太子を出産。

しかしエリザベート自身の精神も限界に達し、肺を病み、スペイン・マデイラ島へ療養の旅に出る。

転地療養から皇妃エリザベートの旅が始まった。

旅先でエリザベートは自信を取り戻していく。

エリザベートの流浪の旅は、生涯に渡って続いていくこととなる。

皇妃エリザベートとハンガリー

皇妃エリザベートとハンガリーの繋がりは深い。

1867年6月8日、オーストリア=ハンガリー二重帝国が成立。

ハンガリーの首都ブダペストにあるマーチャーシュ聖堂で、フランツ・ヨーゼフ1世とエリザベートの戴冠式が行われた。

ハンガリーでの戴冠式は、オーストリア=ハンガリー二重帝国の成立を象徴する重要な出来事だった。

フランツ・ヨーゼフ1世がハンガリー王となったことで、ハンガリーは オーストリア帝国内で対等の地位を得たことになる。

エリザベートがハンガリーの王妃となったことも、ハンガリーの国民にとって大きな意味があった。

エリザベートはハンガリーに対し強い愛を持っており、ハンガリーの国民からとても人気があったのだ。

オーストリアとハンガリーの二重帝国成立に尽力した功績がある一方で、エリザベートの政治的な影響力は限定的だった。

皇妃エリザベートを襲う悲劇

エリザベートの生涯において忘れてはならないのは、ルドルフ皇太子が情死したマイヤーリング事件である。

ハプスブルク家としても前代未聞の大事件であった。

この時エリザベートは悲しみに打ちひしがれ、心の底から自分を責めたという。

ルドルフ皇太子の死後エリザベートは、ほぼ黒い服(喪服)で過ごすこととなる。

自由を愛し、宮廷のしきたりに縛られることを嫌ったエリザベート。

しかしその反面、悲劇的な別れを多くその身に受け続けることになる。

娘ゾフィー、姉へレーネ、妹ゾフィー、親族のルートヴィヒ2世が、自分より先に亡くなっていった。

そして1898年9月10日、ついにエリザベート自身も、スイスのジュネーブ、レマン湖畔において暗殺されるのである。

皇妃エリザベート、60歳だった。

近代史のシンデレラ・皇妃エリザベート、今は静かに眠る

エリザベートは、皇后という誰もが憧れる身分でありながら、自由を求め彷徨いさすらい、自身の美貌で人々を魅了し続けた。

今エリザベートの肉体は、ハプスブルク家の霊廟カプツィーナ教会に眠る。

ある意味では時代の先駆者であった、オーストリア皇后エリザベート。

時代がエリザベートに追いつくのは、まだ少し先の話となる。

さらに詳細な記事もどうぞご覧ください。

詳細記事

皇妃エリザベートの参考文献一覧です。

参考書籍

  • ブリギッテ・ハーマン著/中村康之訳 「エリザベート 美しき皇妃の伝説」 上 ISBN 978-4-02-261488-9
  • ブリギッテ・ハーマン著/中村康之訳 「エリザベート 美しき皇妃の伝説」 下 ISBN 978-4-02-261489-6
  • 須貝典子著/片野優・写真 「美しき皇妃エリザベート」 ISBN-13 978-4309228761
  • 沖島博美著 「皇妃エリザベートをめぐる旅 ドイツ・オーストリア・ハンガリー シシィの足跡をたずねて」 ISBN 978-4309226842
  • 毎日放送 「皇妃エリザベート展」
  • NHKプロモーション 「輝ける皇妃 エリザベート展」
  • 南川三治郎 写真・文 「皇妃エリザベート 永遠の美」 ISBN 4-418-06515-6
  • 森実与子著 「エリザベート 美と旅に生きた彷徨の皇妃」 ISBN 978-4-404-04017-6
  • 桐生操著 「新訳 皇妃エリザベートとふたりの男たち」 ISBN 978-4062201926
  • 名香智子著/ジャンデ・カール原作/塚本哲也 監修・解説 「マンガ 皇妃エリザベート」 ISBN 4-06-256488-2
  • 川島ルミ子著 「最期の日のマリー・アントワネット ハプスブルク家の連続悲劇」978-4-06-281517-8
  • 中野京子著 「名画で読み解く ハプスブルク家 12の物語」 ISBN 978-4-334-03469-6
  • 川成洋 編集者代表/菊池良生 佐竹謙一 編者 「ハプスブルク事典」 ISBN 978-4-621-30681-9

皇妃エリザベートの参考書籍一覧は こちら からどうぞ。

参考サイト

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