ミュージカル『エリザベート』は、ミヒャエル・クンツェ脚本・作詞の、「自由を求めるエリザベートの生涯と、死の化身である黄泉の帝王トート」との愛のストーリーです。
オーストリアのウィーンで、1992年に初演され、日本では宝塚歌劇団が上演し、東宝版と共に人気で何度も再演されているミュージカルです。
このページでは、ミュージカル『エリザベート』 2016 Black ver. と史実の違いを振り返ります。
ミュージカル『エリザベート』では、ストーリーテラーであるルイジ・ルキーニ(ルイジ・ルケーニ)が自ら命を絶ち、その後も死後の世界で裁判にかけられ続けているところから始まります。
ルイジ・ルキーニ(ルケーニ)は証拠を示すべく、死後の世界ー黄泉の世界ーからある人物たちが屍から蘇るのです。
では史実とはどう違ったのでしょうか?
ミュージカル『エリザベート』を、これから初めて見る方も、すでに何度も見ている方も、ぜひ楽しんでご覧ください!
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またミュージカル『エリザベート』 2016 Black ver. と、他のミュージカル『エリザベート』では、演出等が違っている場合があります。
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ミュージカル『エリザベート』と史実の違い
それではさっそく、主に主要な人物について「どこが史実と違うのか」を見ていきましょう。
エリザベートの史実との違い
ミュージカルのエリザベートでは、「トート」という黄泉の帝王である死の化身が、エリザベートの生涯の主軸に入り描かれます。
エリザベートは、幼少期に木から落ち、そこで黄泉の帝王トートと初めて出逢うのです。

不思議と惹かれるものの、エリザベートにはトートを受け入れられない理由がありました。
生きる希望に溢れていたこと。
さらにはフランツ・ヨーゼフ1世との結婚です。

エリザベートはあっという間に皇后になってしまいますが、幼さを残すための、おろしたままの髪型。
「何も分かっていない純真無垢なエリザベート」を、観る者に伝えています。

史実では貴族女性として、結婚ができる準備が整った女性は、髪を結い上げていたと言われているためです。

エリザベートは夫フランツ・ヨーゼフ(フランツ・ヨーゼフ1世)を愛称の「フランツィ」と呼んだとされますが、ミュージカルでは分かりやすくするためか「フランツ」と呼んでいます。
結婚してすぐウィーンの宮廷で籠の中の鳥として描かれたエリザベートは、次第にその窮屈さに苦しみ始めますが、史実でも同じような状態になっていく…。
さらに結婚後すぐに授かった長女のゾフィーをハンガリーのブダ王宮で亡くすのです。
ミュージカルでは娘ゾフィーは棺でしか表現されずにいますが、わずか2歳でした。
非常に短い演出で終わるのですが、ミュージカルと同じで、史実のエリザベートも泣いてばかりであったと言われています。
初めての子ども、長女の死という悲しい経験が尾を引き、エリザベートは子育てから手を引くのです。
第二子のギーゼラについては触れられませんが、ミュージカルのスピード感では、重要ポイントを描いていくので、仕方がないかもしれません。
エリザベートの愛する末娘マリー・ヴァレリーも同様に描かれません。
歌われる「私だけに」は、エリザベートの心情が見え、盛り上がりを見せていきます。

ルドルフ皇太子を出産後は、史実ではエリザベートは転地療養のためスペイン(実際にはポルトガル領)のマデイラ島2に向かいます。
しかしこのルドルフとの別れは、ミュージカルではほぼありません。
エリザベートは、療養先で自身の美貌に気付きます。
自ら自信をつけ始めるエリザベートの姿は、鏡に向かって身支度をすることで表しています。
史実ではその後、ルドルフ皇太子を帝王学のスパルタ教育から救いましたが、以降もエリザベートは旅を続け、子育てに戻ることはありませんでした。
このあとエリザベートが舞台に姿を見せる機会が減るのは、娘ゾフィーの死後、子育てから手を引き、旅に出始める背景があるからです。
自身の目的以外では外に出なくなったり、宮廷から抜け出したり、皇后の義務や公務を捨て、旅をする史実のエリザベートと同じ姿です。

ハンガリー王妃として即位したときには、エリザベートの輝きは頂点に達し、トートとの「私が踊る時」も、以前と違って、勝ち誇った表情や態度なのがよく分かるのではないでしょうか。
登場するリヒテンシュタイン伯爵夫人は、おそらくエリザベートのウィーンでの教育係であったエステルハージ=リヒテンシュタイン伯爵夫人と考えられます。
史実上のエステルハージ=リヒテンシュタイン伯爵夫人は、ハプスブルク家、オーストリア宮廷における、古代から存在する名門貴族リヒテンシュタイン家の出身の女性です。

リヒテンシュタインはリヒテンシュタイン公国としても有名な名なので、一度は聞いたことがある方も多いのではないでしょうか。
ハンガリーの名門エステルハージ家に嫁ぎ、そこからウィーンでゾフィー皇太后(大公妃)の右腕となり、エリザベートの教育係になった、それが史実上のエステルハージ=リヒテンシュタイン伯爵夫人です。
リヒテンシュタイン伯爵夫人は、史実ではエリザベートの「敵方」ですが、ミュージカルではエリザベートのミルク風呂を作ります。
うるさい教育係のはずなのに、なかなか面白い演出ですよね。
ミルク風呂は史実どおりの出来事です。
しかも、エステルハージ=リヒテンシュタイン伯爵夫人は、史実上、宮廷で力を持ち始めたエリザベートに解雇されてしまうのです。
名門一族の女性をクビにする…これには皇帝フランツ・ヨーゼフ1世も「申し訳ない」と、解雇の際に贈り物をしたと言われています。
ミュージカルが進むにつれ年を重ね、若くあろうともがきます。ここは史実と重なるところでしょう。
エリザベートの生涯の中で、自身のアイデンティティーまでをも揺るがす、非情なまでもの衝撃的な出来事、それが息子ルドルフの死でした。
ミュージカルでは、ひっそりと嘆いているところが見つかります。
嘆くのは史実でも同じで、葬儀にも出られず、ハプスブルク家の霊廟にあるルドルフの棺(石棺)に向かって、一人泣いていたところを目撃されたと言われています。
息子ルドルフの死後は、生きていく意味を完全に失い、トートに死を望むまでになりますが、トートには「まだ自分を愛してはいない」と拒絶されるのです。
夫フランツ・ヨーゼフ1世もすでに愛を捧げる対象ではなく、夫婦生活は破綻。
黒喪のエリザベートは、史実では皇后とは名ばかりで、気の向くまま、旅先に姿を現すようになっていきます。
そして旅先のスイス・ジュネーブのレマン湖畔で、ついにルイジ・ルケーニ(ルイジ・ルキーニ)に刺され、ミュージカルではトートとついに踊り、愛し合い、黄泉の国へと旅立つのです。
トートの愛が、エリザベートを救ったことになるかもしれない…。
美しくも哀しい愛を得た、ミュージカル『エリザベート』のラストシーンです。
エリザベート ミュージカルと史実の差異 比較表
| ミュージカル | 史実 | ||
|---|---|---|---|
| トート(黄泉の帝王(死の化身))が、エリザベートの人生の主軸として登場 | 架空のキャラクターであるトートは登場しない | ||
| 皇妃となっても下ろしたままの髪型で、その幼さや無垢さを表現 | 結婚の準備が整った貴族女性は、髪を結い上げることが一般的 | ||
| ウィーンの宮廷で「籠の中の鳥」として描かれ、苦しみ始める | 結婚後、ウィーン宮廷での生活に苦しみ始めた | ||
| 二人の時は夫を「フランツ」と呼ぶ | 二人の時は夫を愛称の「フランツィ」と呼んでいたとされる | ||
| 長女ゾフィーは棺でのみ表現され、エリザベートは泣くばかり | 長女ゾフィーはハンガリーのブダ王宮で2歳で亡くなる この経験が、彼女が子育てから手を引くきっかけとなった | ||
| 第二子ギーゼラや末娘マリー・ヴァレリーについては、物語の進行上ほとんど触れられない | ギーゼラとマリー・ヴァレリーは実在し、末娘のマリー・ヴァレリーは特にエリザベートのもとで育てられた | ||
| ルドルフ出産後の母子の別れは雰囲気として描かれる エリザベートの美への覚醒は、鏡に向かいつつ気づき、自信をつける表現 | ルドルフ出産後、転地療養のためスペインのマデイラ島へ向かった その過程において自身の美に気がつき、自信を得た | ||
| 息子ルドルフをスパルタ教育から救うが、その後エリザベートは舞台から消えがちになる | ルドルフをスパルタ教育から救った後も旅を続け、マリー・ヴァレリーが生まれるまで子育てに戻ることはなかった | ||
| (描かれていないが)皇后の義務や公務を捨てて旅をしていた姿と重なる | 皇后の義務や公務を放棄し、宮廷を抜け出しては旅をしていた | ||
| ハンガリー王妃として即位した時、勝ち誇った様子でトートと対峙し「私が踊る時」を歌い上げる | エリザベートが後押しをし、ハンガリー王妃として即位した | ||
| リヒテンシュタイン伯爵夫人がミルク風呂を用意する | エリザベートがミルク風呂に入っていたのは史実も同じ しかしリヒテンシュタイン伯爵夫人がエステルハージ伯爵夫人と考えると、史実とは異なると考えられる | ||
| 年を重ねるにつれ、若くあろうともがき、美貌に執着する | 年齢を重ねても美や若さに執着した | ||
| 息子ルドルフの死をひっそりと嘆くところをパパラッチされる | 息子ルドルフの葬儀には出られず、ひっそりと一人棺に向かい泣いていた姿が目撃されたと言われている | ||
| 息子ルドルフの死後、トートに死を望むが、「まだ自分を愛していない」と拒絶される | 夫との夫婦生活は破綻し、黒い服(喪服など)を着て皇后とは名ばかりの放浪生活を送った | ||
| スイスでトートに操られたルイジ・ルケーニに刺され、トートと愛し合いながら黄泉の国へ旅立つ | スイス・ジュネーブのレマン湖畔で、ルイジ・ルケーニに刺されて亡くなった |
黄泉の帝王トート(死)の史実との違い
黄泉の帝王(死)トートがエリザベートを求め愛していくストーリーは、エリザベートの生涯を見ても、十分納得できるオリジナルキャラクターです。

しかもオリジナルキャラクターであるにも関わらず、トートは非常に魅力的で、ミュージカル『エリザベート』では、このキャラクターはなくてはならない存在。
もしかしたら黒死病(ペスト)が流行った際、人々が「死の舞踏」(Totentanz:トーテンタンツ)を踊っているのを、当たり前のように見ていたかもしれない、そんなイメージが浮かび上がるキャラクターです。
だって、「踊る」のですから…!
もちろん史実には登場しない、というよりは「私たち人間」には、通常見えませんから、ここではトートの行動を見ていきましょう。
トートはエリザベートが幼少の頃に、木から落ちたエリザベートの命の炎を知り、愛し合おうと見守り続け、甘い誘いの声をかけ続けます。
エリザベートが振り向いてくれるのを待ちますが、エリザベートが生きていく意味を見つけるとショックを受けてしまう…。
しかしその後も、エリザベートからは目を離さず、その美しい姿でエリザベートを黄泉の世界へ誘い続ける。
エリザベートの娘ゾフィーを黄泉の国へ連れて行ったときも、「あなたなの!」とエリザベートに叫ばれますが、死の化身であるトートには、良心の呵責はありません。
そしてトートは、ルドルフにも目を向け、ついに幼少期に接触を図ります。青年になったルドルフの苦しみを見て、「死にたいのか」と、黄泉の世界へ連れて行くことに成功してしまう…。
ルドルフという、自分にとってあまりに重要な子どもを奪われたエリザベートには、その最も重要な場面において、トートはついに死を望まれます。
トートにとって、千載一遇のチャンスでしたが、「まだ自分を愛してはいない」とエリザベートを”救い”ません。
拒絶するのです。
さらに時は流れ、トートは十二分に待ち、絶望の縁に堕ちたエリザベートとついに愛し合い踊るのです。

フランツ・ヨーゼフ1世には悪夢を見せ苦しめます。
ルイジ・ルキーニ(ルイジ・ルケーニ)には「先の細い、ヤスリ状の凶器」を渡し、エリザベートを手にかけるよう仕向け、エリザベートを自分の腕の中に呼び寄せるのです。
エリザベートを手に入れたトートは、エリザベートと踊り、愛し合い、口づけを交わす。
そしてその瞬間に、その命を永遠に奪い、黄泉の世界へ連れ去っていきます。
哀しい愛の姿…。
トートにとっては、孤独だった期間があまりにも長かった…。
ミュージカル『エリザベート』において、 トートは、ラストダンスを飾るにふさわしい、いなくては物語が成立しないほどの、魅力的なキャラクターなのです。
黄泉の帝王トート(死) ミュージカルと史実の差異 比較表
| ミュージカル | 史実 | ||
|---|---|---|---|
| 黄泉の帝王(死の化身)であり、エリザベートを愛し、彼女の生涯に深く関わる 魅力的で必要不可欠な存在 | オリジナルキャラクターであり、史実には登場しない もしくは人間の目には見えない…? | ||
| 幼少の頃からエリザベートを見守り、彼女が自分(死)を求めるのを待ち続ける | 架空の出来事 | ||
| 美しい姿でエリザベートを黄泉の世界(死)へ誘い続ける | 架空の出来事 | ||
| エリザベートの娘ゾフィーを黄泉の国へ連れて行くが、良心の呵責はない | 娘ゾフィーは病死 | ||
| 青年になったルドルフの苦しみにつけこみ、彼を黄泉の世界(死)へ連れて行くことに成功する | ルドルフはマイヤーリングで情死したとされる | ||
| 息子を失い死を望むエリザベートに対し、「まだ自分を愛していない」と死を与えることを拒絶する | 架空の出来事 | ||
| フランツ・ヨーゼフ1世に悪夢を見せる ルイジ・ルケーニには暗殺の凶器を手渡すなど、裏で糸を引く | 架空の出来事 | ||
| エリザベートが刺された後、彼女と愛し合いながらラストダンスを踊り、その命を永遠のものとして連れ去っていく | 架空の出来事 |
ルイジ・ルキーニの史実との違い

皇妃エリザベートをその手にかけた人物で、無政府主義者。
当初はオルレアン公を狙っていたものの見つからず、新聞に載ったエリザベートの記事を読んで、狙いをエリザベートに定めたことが分かっています。
その後服役中に、刑務所内で自ら命を断ちますが、ミュージカル『エリザベート』では、ここから全てが始まるのです。
ルイジ・ルキーニ(ルイジ・ルケーニ)は、ミュージカル中はストーリーテラーとしてほとんどの場面に出続け、民衆を煽り続けます。
最後にはトートに操られ、エリザベートの命を奪う役割を全うする。そして史実の世界に戻るのです。
劇中歌「キッチュ」は、彼がエリザベートとフランツ・ヨーゼフ1世を揶揄する歌・曲として、また歌詞を変えながらも流れ続ける曲です。
ミュージカルの中でこれだけの役割を持つ人物は、もう一人の主人公と同等ではないでしょうか。
ルイジ・ルキーニ —ミュージカルと史実の差異—
| ミュージカル | 史実 | ||
|---|---|---|---|
| 物語の開始時点で故人であり、死後の世界から全体のストーリーテラー(語り部・狂言回し)として登場する | 皇妃エリザベートを暗殺した無政府主義者 | ||
| ほとんどの場面に登場し、民衆を扇動し続ける、もう一人の主人公とも言える役割を担う | 当初はオルレアン公を狙っていたが、標的を変更しエリザベートを暗殺した | ||
| エリザベートとフランツ・ヨーゼフ1世を揶揄する「キッチュ」という劇中歌を歌う | 架空の要素 | ||
| トートに操られ、その手先としてエリザベートの命を奪う役割を全うする | トートに操られたという描写は傑出した創作 | ||
| (物語の冒頭で)自ら命を絶った後、100年もの間偉大なる愛とは何か、なぜ殺したかを問われ続けている | 服役中に刑務所内で自ら命を絶った |
ゾフィー皇太后(大公妃)の史実との違い

ミュージカル『エリザベート』では、ゾフィー皇太后と呼ばれていますが、本当は「ゾフィー大公妃」です。
大公(大公妃)という称号はオーストリア帝国ハプスブルク家特有の称号で、他の国などでは、公爵(公爵夫人)の身分に相当します。
ミュージカル『エリザベート』では、日本人の私たちに分かりやすく、皇后エリザベートの義母「皇太后」へ変更していると考えられます。
最初より息子であるフランツ・ヨーゼフ1世を操る母親として描かれ、結婚式後のいわゆる初夜に押しかける姿が描かれています。史実と同じで、デリカシーに欠ける、しかしこれが「しきたり」であり、共依存を思い起こさせる。
そのくらいフランツ・ヨーゼフ1世は母であるゾフィー皇太后(大公妃)に何でも話していたのです。

ミュージカルでの衣装(ドレス)は史実とはだいぶ違います。
若い頃はビーダーマイヤー調のドレスと髪型でその美しさを、宮廷や社交界で魅せていました。
息子フランツ・ヨーゼフ1世の結婚後の写真を見ても史実とは違いますが、ミュージカル エリザベートでのゾフィー皇太后(大公妃)の威厳を見せるためには、軍服様式のドレスであり、大胆でユニークな変更だったと感じます。
そして、史実同様にエリザベートの養育権を取り上げ、ルドルフ皇太子には厳しいスパルタ教育を施す。
信じられないかもしれませんが、これがゾフィー皇太后(大公妃)の愛だったのです。

ミュージカル エリザベートでは、娼館でフランツ・ヨーゼフ1世に女性を見つけることを指示しますが、史実ではフランツ・ヨーゼフ1世自らその相手を見つけます。
しかし年老いたゾフィー皇太后(大公妃)も、ついにこの世を去るのです。
史実では皇帝フランツ・ヨーゼフ1世が自身の言うことを聞かなくなり、政治からも手を引き、さらには息子で第二子の溺愛するフェルディナント・マクシミリアンを彼の地メキシコで失い、その失意も手伝って、病であっけなくこの世を去ったとされます。
これにより、ミュージカルの演出とは違うとは言えども、史実と同じく、約18年に及んだエリザベートとの戦いは、ここに終結。
死が二人を分つたのでした。
ゾフィー皇太后(大公妃)—ミュージカルと史実の差異 比較表—
| ミュージカル | 史実 | ||
|---|---|---|---|
| 「ゾフィー皇太后」と呼ばれる | 正確な称号は「ゾフィー大公妃」。ハプスブルク家特有の称号で、他国の公爵夫人に相当する | ||
| 息子フランツ・ヨーゼフ1世を操り、結婚式の初夜後の朝にも押しかける | 息子との関係は非常に密接だった 初夜後の朝に訪れたのは「しきたり」であったが、共依存を感じるほど | ||
| 威厳を見せるための、軍服様式で大胆でユニークな衣装(ドレス)を着用している | 若い頃はビーダーマイヤー調の美しいドレスを着用 結婚後の写真を見ても、ミュージカルの衣装とは大きく異なる | ||
| エリザベートの養育権を取り上げ、ルドルフ皇太子に厳しいスパルタ教育を施す これを「愛」と捉えている | エリザベートから養育権を取り上げ、ルドルフにスパルタ教育を施した | ||
| 娼館でフランツ・ヨーゼフ1世に女性を見つけるよう指示する | フランツ・ヨーゼフ1世が自ら相手を見つけた | ||
| (描かれ方は異なるが)年老いてこの世を去ることで、エリザベートとの戦いが終結する | 政治から手を引き、息子マクシミリアンの死に失意を深め、病で亡くなった その死により、約18年に及んだエリザベートとの確執は終結した |
フランツ・ヨーゼフ(フランツ・ヨーゼフ1世)の史実との違い

フランツ・ヨーゼフ(フランツ・ヨーゼフ1世)は、史実どおりに、お見合い相手であるエリザベートの姉へレーネではなく、エリザベートを選びます。
ロマンティックな始まりを醸しだしますが、結婚後はエリザベートを構うことよりも皇帝の責務に向かい、エリザベートにも皇后の責務を促すようになります。
母ゾフィー皇太后(大公妃)による、ある意味では洗脳のような状態。
操り人形であるのは、史実と同じ流れです。
嘆くエリザベートに拒否されてもなおエリザベートを愛し続け、ゾフィー皇太后(大公妃)に歯向かう部分も、史実と解釈は同じ。
その後、成長した息子ルドルフと折り合いが悪くなり、帝位の継承をも考えない老翁となっていくのも、これまた史実どおりです。
そしてルドルフというただ一人の皇位継承者をマイヤーリング事件で亡くし、エリザベートを求める、さらに孤独な老帝となっていくのです。これもまた史実と同じ…。

なんてこれほどまでに同じなんでしょう。ミュージカルなのに…!
あまり描かれていないのは、皇帝として戦場に向かったことや敗戦、クリミア戦争以降から、広きヨーロッパにおいて立場を失っていくオーストリア帝国の姿でしょうか。
ミュージカル『エリザベート』では、次々と訪れた身内たちの死をトートに見せられ苦しめられますが、史実でも順番にやってきた悲しみと一緒だったのは、「それ以外には何もない」証拠かもしれません。
フランツ・ヨーゼフ ミュージカルと史実の差異 比較表
| ミュージカル | 史実 | ||
|---|---|---|---|
| お見合い相手のヘレーネではなく、エリザベートを選ぶ | 史実でも、姉のヘレーネではなくエリザベートを選んだ | ||
| 結婚後は皇帝の責務を優先し、母ゾフィーの操り人形 | 母親であるゾフィー大公妃の影響を非常に強く受けていた | ||
| エリザベートに拒絶されてもなお、彼女を愛し続け、母ゾフィーに歯向かうこともある | エリザベートを愛し、母ゾフィーとエリザベートの間で苦悩したのは史実でもあったとされる | ||
| 成長した息子ルドルフと折り合いが悪くなり、帝位継承を考えない老翁となっていく | 成長した息子ルドルフとの関係は悪化していた | ||
| マイヤーリング事件でルドルフを亡くし、さらに孤独な老帝となっていく | 史実でもルドルフの死後、孤独を深めていった | ||
| 戦争での敗戦や、クリミア戦争以降のオーストリア帝国の立場の孤立などはあまり描かれていない | 戦争での敗戦や、クリミア戦争以降のオーストリア帝国の立場は孤立していく | ||
| トートによって、次々と訪れる身内の死を見せられ苦しめられる | 身内が次々と亡くなったのは史実どおりである |
ルドルフ(皇太子)の史実との違い

ルドルフ(ルドルフ皇太子)は、エリザベートが産んだ唯一の男子であり、生まれながらの皇位継承者です。
エリザベートは、ルドルフ出産後、史実では転地療養のためウィーンから姿を消しますが、ミュージカル『エリザベート』では幼いルドルフに対するスパルタ式の帝王学を止めさせます。
厳しいスパルタ式の帝王学から解放されたルドルフにはトラウマが残り、母エリザベートを愛し求めるようになる…。
史実のルドルフの荒みっぷりを考えても、母であるエリザベートの愛を心から欲したのは手に取るように分かるのではないでしょうか。
ミュージカルにおいて、成長したルドルフは、考え方の違いから父フランツ・ヨーゼフ(フランツ・ヨーゼフ1世)と対立するようになり、次第に生きる意味を失っていきます。
これは史実も一緒であり、ルドルフが自ら命を断つ理由の一つとなっていくのです。
そしてミュージカルでは、ハンガリー人の反フランツ・ヨーゼフ派と一緒に陰謀を働いた息子として描かれます。
しかし史実では、皇帝である父フランツ・ヨーゼフ1世の体制を批判する新聞紙への偽名での投稿のみであり、陰謀論者とは違うとされています。

ただ、ルドルフは自らその命を絶ってしまうので、昨今は「フランツ・ヨーゼフ1世の命を狙ってはいなかったのでは」と分かってきてはいるものの、真実は闇の中…。
史実とは違い、ミュージカルでのルドルフは、逮捕寸前で皇太子という身分によって救われますが、父フランツ・ヨーゼフ1世と大喧嘩するのは史実と同じで、このままじゃダメ!と、どうしても頭をよぎるのです。
ウィーンに帰ってきたエリザベートにすがるものの、冷たくあしらわれ、失意のどん底へ落とされます。
現れたトートに「死にたいのか?」と問われ、操られながら、ついに黄泉の世界へと連れて行かれるのです。
史実のルドルフは、マイヤーリング事件を起こし、連れ立った若き愛人マリー・ヴェッツェラ男爵令嬢と共に命を断ちます。
劇中歌「闇が広がる」で歌われる「皇帝ルドルフ」が本当に史実で即位していたら、世の中の流れは変わったかもしれず、まさに歴史を左右した人物だったと言えるのです。
ルドルフ ミュージカルと史実の差異 比較表
| ミュージカル | 史実 | ||
|---|---|---|---|
| 幼い頃、母エリザベートによって、スパルタ式の帝王学から救われる | エリザベートがフランツ・ヨーゼフ1世に最後通牒を伝え、スパルタ教育を止めさせた | ||
| スパルタ教育のトラウマから、母エリザベートの愛を強く求めるようになる | 母であるエリザベートの愛を心から欲していたと考えられている | ||
| 成長後、父フランツ・ヨーゼフ1世と政治思想の違いで対立する | 父帝の体制を批判し、政治的に対立していた | ||
| ハンガリーの反体制派と共に陰謀を企てる | 新聞に偽名で反体制的な投稿をしていたが、具体的な陰謀に加担したという証拠はないとされている | ||
| 逮捕寸前で皇太子という身分によって救われるが、父と大喧嘩になる | ミュージカル上の創作 | ||
| 母に助けを求めるが冷たくあしらわれ、絶望のどん底へ落とされる | 母エリザベートとの関係性が彼の孤独に大きく影響したという解釈は存在する | ||
| トートに誘われ、「闇が広がる」を歌いながら死の口づけを交わし、操られながら黄泉の国へ旅立つ | 愛人のマリー・ヴェッツェラと共に、マイヤーリングの狩猟館で情死(ピストル自殺)した | ||
| (劇中で歌われるように)もし「皇帝ルドルフ」が即位していれば、歴史は変わっていたかもしれない | 彼の自由主義的な思想から、もし本当に即位していればオーストリア=ハンガリー帝国の運命は変わっていた可能性が高い |
エリザベートの姉ヘレーネの史実との違い
ミュージカル『エリザベート』では、エリザベートの姉のヘレーネは、エリザベートが結婚するまでのちょい役として登場します。しかもその姿は、本物のヘレーネとは大きく違い、まるでピエロです。

史実のエリザベートの姉ヘレーネは、ミュージカルの劇中のように、大っぴらに親戚の伯母や妹たちに「皇帝のお妃になる」なんて発表されることはなく、ひっそりと未来の夫の良き妻になるべく、学んでいました。
その後も女主人として生きた人物で、皇后となったエリザベートとも、亡くなるその時まで良き相談相手であり、妹を支え続けた姉でした。
おそらくヘレーネの元には、死の化身であるトートは現れなかったに違いないのです。

姉ヘレーネ ミュージカルと史実の差異 比較表
| ミュージカル | 史実 | ||
|---|---|---|---|
| エリザベートが結婚するまでの、ピエロのような姿の「ちょい役」として登場する | 皇帝の花嫁候補として、ひっそりと準備を進めていた | ||
| エリザベートが選ばれた後、舞台から姿を消す | 皇帝に選ばれなかった後に結婚し、女主人として生涯を全うした | ||
| 特に描かれていない | 皇后となった妹エリザベートを、亡くなるまで支え続けた、良き相談相手であった |
エリザベートの母ルドヴィカの史実との違い

エリザベートの母ルドヴィカは、ゾフィー皇太后(大公妃)の実の妹です。
政略結婚により、エリザベートの父マクシミリアン公爵へ嫁ぎましたが、バイエルン王家の王女でした。
その称号は、結婚後も保持していました。
ミュージカルでも史実でも、長女のへレーネを皇帝フランツ・ヨーゼフ1世にお見合いさせようとはしますが、それはヘレーネが結婚適齢期であり、相手も見つかっていなかったことも理由にあげられます。
結果として次女である妹エリザベートが選ばれ、母ルドヴィカは、これを承諾することになるのです。
エリザベートの母ルドヴィカは、姉ゾフィー皇太后(大公妃)を敬いながらも、王女の気品と気質を持つ女性として、息子や娘たちの起こす事件を心配し、後ろからフォローしていく。
そんな強い女性でした。
ミュージカル『エリザベート』では、誇張されている母ルドヴィカですが、83歳まで激動の時代を、それこそ娘たちを心配しながら生き抜いたのです。
母ルドヴィカ ミュージカルと史実の差異 比較表
| ミュージカル | 史実 | ||
|---|---|---|---|
| (史実と同様に)長女ヘレーネを皇帝フランツ・ヨーゼフ1世とお見合いさせようとする | ヘレーネが結婚適齢期であったことなどを理由に、皇帝とのお見合いを計画した | ||
| (史実と同様に)結果として妹のエリザベートが選ばれることを承諾する | 娘エリザベートが選ばれたことを承諾した | ||
| 誇張された母親として描かれている | ゾフィー皇太后(大公妃)の実妹であり、バイエルン王家の王女だった 結婚後もその称号を保持していた | ||
| 特に描かれていない | 姉ゾフィーを敬いつつも、王女としての気品と気質を持ち、子供たちの問題に対応する強い女性だった | ||
| 特に描かれていない | 83歳まで、娘たちを心配しながら激動の時代を生き抜いたヴィッテルスバッハ家の女性であった |
エリザベートの父マクシミリアン公爵の史実との違い

エリザベートの父マクシミリアン公爵は、母ルドヴィカとは幼少期から手紙をやり取りする間柄でしたが、結婚はお互いの愛する人と別れての、政略結婚でした。
ミュージカル『エリザベート』では、その存在は最初の頃、つまりエリザベートの幼少期とアキレイオンにしかありませんが、史実でも家族たちと離れて生活していました。
エリザベートの母で妻のルドヴィカと一緒に過ごすことはなくなり、自分の館(ウンターヴィッテルスバッハ)を購入し、旅行に行っては大金を遣ってくるなどしていたとされます。
そのためエリザベートが大人になるにつれ、幼少期を除き、エリザベートとも不仲であったと言われています。
晩年は少し丸くなったと言われているマクシミリアン公爵。
非常に不幸な生い立ちではあったにせよ、本人は幸せであったのか、そうでなかったのか…。
彼の眠るテーゲルンゼー修道院に、問いかけてみたくなる、そんな人物でした。
父マクシミリアン公爵 —ミュージカルと史実の差異 比較表—
| ミュージカル | 史実 | ||
|---|---|---|---|
| エリザベートの幼少期とアキレイオンに登場し、その後の出番はない | 妻ルドヴィカとは政略結婚であり、エリザベートの幼少期以降はほぼ別居し、娘エリザベートとの関係も不仲であったと言われている | ||
| 特に描かれていない | 妻とは別に自身の館を購入し、旅行で大金を遣うなど自由奔放な生活を送った | ||
| 特に描かれていない | 不幸な生い立ちで、晩年は少し性格が丸くなったと言われている |
マダム・ヴォルフの史実との違い

マダム・ヴォルフは、娼館の女性として登場します。
ミュージカルならではのキャラクターです。
ゾフィー皇太后(大公妃)に指示された男たち(といっても良い身分の貴族たちですが…)がやってきたところにいます。
この場面に目立って出ている、娼婦役と思われる”ミッツィー”が、あの「ミッツィー・カスパー」だとしたら、それはフランツ・ヨーゼフ1世の相手ではなく、史実ではルドルフ皇太子の愛人です。
ミュージカル『エリザベート』では、エリザベートが性病だとトートに脅かされるシーンがあり、エリザベートは夫であるフランツ・ヨーゼフ1世が裏切ったと憤りますが、史実上エリザベートはその病ではありません。
逆にルドルフ皇太子の妃シュテファニーがそうだったのではないかと言われています。
フランツ・ヨーゼフ1世には公妾がいたものの、娼館の女性ではなかった。
これもミュージカルを楽しむために、史実を知る醍醐味と言えるでしょう。
マダム・ヴォルフ ミュージカルと史実の差異 比較表
| ミュージカル | 史実 | ||
|---|---|---|---|
| マダム・ヴォルフは娼館のマダムとして登場し、ゾフィー皇太后(大公妃)の指示で貴族たちが訪れる | マダム・ヴォルフという名の娼館のマダムに関する具体的な記述は確認されていない | ||
| 目立つ娼婦役として 「ミッツィー」 が登場する | 「ミッツィー・カスパー」という女性は実在したが、彼女はフランツ・ヨーゼフ1世ではなく、息子ルドルフ皇太子の愛人だった | ||
| トートがエリザベートに対し、夫フランツ・ヨーゼフ1世から性病をうつされたと脅すシーンがある | エリザベートが性病にかかったという事実はないとされる | ||
| (上記のシーンに関連して)フランツ・ヨーゼフ1世が娼館に通い、妻であるエリザベートに病をうつした可能性が示唆される | フランツ・ヨーゼフ1世には公妾(アンナ・ナホスキーや、女優カタリーナ・シュラット)がいたが、娼館の女性ではなかった また、ルドルフ皇太子の妃シュテファニーが夫から性病をうつされたのではないかと言われている |
トリビア
ミュージカル『エリザベート』では、「へレーネが皇帝のお妃になる」と発表されるシーンにおいて、エリザベートの伯母と叔母が登場します。
しかし史実では、父マクシミリアン公爵(マックス公爵)は一人っ子、母ルドヴィカはバイエルン王家の一番下の王女であるため(妹のマクシミリアーネは亡くなっている)、実質エリザベートには伯母しかいないはず…!?
グリュンネ伯爵は、バート・イシュルにも同行するほどのフランツ・ヨーゼフ1世の腹心であり奸臣です。
バート・イシュルにも同行していました。そこからエリザベートも頼りにしていた時期があったとされます。
ミュージカル『エリザベート』では、ゾフィー皇太后(大公妃)の言うことも聞いていて、実際には皇帝とその母二人のお気に入りの部下でした。
参考作品、参考文献・キャスト紹介
この記事で参考にさせていただいた参考文献やミュージカル『エリザベート』は、以下のものです。
参考作品:ミュージカル エリザベート 2016 Black ver.
- キャスト(敬称略・リンク先は公式サイトまたはSNS)
- アンサンブルキャスト(敬称略)
-
- シュヴァルツェンベルク侯爵(皇帝の側近)/カフェの客/民衆:朝隈濯朗
- ラウシャー大司教(ウィーン大司教)/ボヘミアン(カフェの客)/民衆:安倍誠司
- グリュンネ伯爵(皇帝の側近)/カフェの客)/取調官:石川 剛
- エリザベートの叔父/兵士/ゴンドルークル伯爵(少年ルドルフの教育係):奥山 寛
- 結婚式に出席の貴族/カフェの客/民衆:上垣内 平
- 結婚式に出席の若い貴族/詩人(カフェの客)/ラビ:川口大地
- ヒューブナー(皇帝の側近)/民衆/取調官:後藤晋彦
- 兵士/結婚式に出席の貴族/精神病院の患者:白山博基
- 従僕/教授(カフェの客)/精神病院の院長:高橋卓士
- 兵士/カフェのボーイ/ハンガリーの青年:田中秀哉
- エリザベートの伯父/従僕/カフェのボーイ:福永悠二
- ケンペン(皇帝の側近)/デブレツィンの市長/ジャーナリスト(カフェの客):横沢健司
- 女官/民衆/ミッツィー(娼婦):石原絵理
- エリザベートの妹/結婚式に出席の貴族/侍女:折井理子
- 女官/民衆/マデレーネ(娼婦):可知寛子
- エリザベートの家庭教師/侍女2/民衆/:七瀬りりこ
- ヘレネ(エリザベートの姉)/民衆/娼婦:原 宏美
- エリザベートの伯母/女官/タチアナ(娼婦):福田えり
- 死刑囚の母/美容師/精神病院の尼僧:真記子
- 女官/侍女3/ロミ(娼婦):松田未莉亜
- 女官/侍女/ヴィンディッシュ(精神病患者):真瀬はるか
- 結婚式に出席の貴族/侍女1/ヴァイオリンを弾く患者:百千 糸
- エリザベートの叔母/侍女/娼婦:安岡千夏
- 姪(エリザベートのいとこ)/スターレイ伯爵夫人(エリザベート付きの侍女)/マリ(娼婦):山田裕美子
- トートダンサー(敬称略)
- 裁判官の声(敬称略)
- 演出・振付・音楽・指揮等(敬称略)
-
- 演出/訳詞:小池修一郎
- 振付:小尻健太 /桜木涼介
- 音楽:シルヴェスター・リーヴァイ
東宝ミュージック /ダット・ミュージック - 指揮:上垣 聡
- 上記の引用元
参考文献
- 小池 修一郎/著 ミヒャエル クンツェ(Michael Kunze)/原名 「エリザベート 愛と死の論舞」 ISBN 978-4-0434-4501-1
- 渡辺 諒 著 「「エリザベート」読本 ウィーンから日本へ」 ISBN 978-4-7872-7293-5
- ブリギッテ・ハーマン著/中村康之訳 「エリザベート 美しき皇妃の伝説」 上 ISBN-13 978-4-02-261488-9
- ブリギッテ・ハーマン著/中村康之訳 「エリザベート 美しき皇妃の伝説」 下 ISBN 978-4-02-261489-6
その他の参考文献は、こちら からどうぞ。
関連記事
脚注
- 著者不明 「Elisabeth d’Autriche en mariée」
アメリカではパブリックドメインです。
著作権の保護期間が著作権の生存期間プラス100年以下であるその他の国や地域において、パブリックドメインです。
詳しくはこちら ↩︎ - ポルトガル領ですが、参考文献の資料に従い、スペインとしています。 ↩︎
- Josef Kriehuber 作 「Sophie Gräfin Esterhazy, geb. Liechtenstein (1798-1869)」
アメリカではパブリックドメインです。
著作権の保護期間が著作権の生存期間プラス100年以下であるその他の国や地域において、パブリックドメインです。
詳しくはこちら ↩︎ - Police de sûreté du canton de Vaud 撮影 「Luigi Lucheni」
アメリカではパブリックドメインです。
美術の著作物としての原図は、著作権の保護期間が著作者の死後70年以下である国・地域においてパブリックドメインの状態にあります。
詳しくはこちら ↩︎ - Viktor Angerer 作 「Princess sophie of bavaria, Archduchess of Austria」
アメリカではパブリックドメインです。
著作権の保護期間が著作権の生存期間プラス100年以下であるその他の国や地域において、パブリックドメインです。
詳しくはこちら ↩︎ - Joseph Karl Stieler 作 「Sophie, Archduchess of Austria」
アメリカではパブリックドメインです。
著作権の保護期間が著作権の生存期間プラス100年以下であるその他の国や地域において、パブリックドメインです。
詳しくはこちら ↩︎ - Studeio of Károly Koller 「Emperor Franz Josef of Austria」
アメリカではパブリックドメインです。
その他の地域では再利用に制限がかかる場合があります。
この作品の著作権上は理論的に不確実です。これは、原著作者の死後70年間著作権が存在する国において、作者の死去日が不明であるためです。
しかしながら、この作品の創作日は120年以上前であるため、著作権は失効していると推測するのが妥当です。
詳しくはこちら ↩︎ - Károly Koller 作 「Rudolf Crown Prince of Austria」
アメリカではパブリックドメインです。
著作権の保護期間が著作権の生存期間プラス100年以下であるその他の国や地域において、パブリックドメインです。
詳しくはこちら ↩︎ - Atelier Adele 作 「Herzogin Helene in Bayern」
アメリカではパブリックドメインです。
著作権の保護期間が著作権の生存期間プラス100年以下であるその他の国や地域において、パブリックドメインです。
詳しくはこちら ↩︎ - Joseph Karl Stieler 作 「Portrait of Ludovica Princess of Bavaria, Duchess in Bavaria」
アメリカではパブリックドメインです。
著作権の保護期間が著作権の生存期間プラス100年以下であるその他の国や地域において、パブリックドメインです。
詳しくはこちら ↩︎ - Franz Hanfstaengl 作 「Maximilian, Herzog in Bayern (1808-1888)」
アメリカではパブリックドメインです。
その他の地域では再利用に制限がかかる場合があります。
著作権の保護期間が著作権の生存期間プラス100年以下であるその他の国や地域において、パブリックドメインです。
詳しくはこちら ↩︎








