皇妃エリザベートの生涯と
ハプスブルク家
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皇妃エリザベートの結婚持参金(夫婦財産契約)

皇妃エリザベートは、嫁ぐ際に多額の持参金を用意しました。
貴族の女性が嫁ぐ際には、持参金を用意することが当時は当たり前だったのです。

このページでは、持参金がいったいどのくらいの金額だったのか、現代に直すとどのくらいの金額なのかをまとめました。

金額は少し複雑ですが、これらを知ることでエリザベートとフランツ・ヨーゼフ1世の結婚当時の仲や愛を知ることができるでしょう。

※このページの参考文献は こちら をご覧ください。
※記事中に出てくる金額は、記事執筆時(2024年)のものです。

皇妃エリザベートの結婚持参金(夫婦財産契約)
このページの内容

エリザベートとフランツ・ヨーゼフ1世の夫婦財産契約

1854年3月の初めに、エリザベートとフランツ・ヨーゼフ1世の夫婦財産契約が終結されました。

内容は次のとおりです。まずは見ていきましょう。

エリザベートの持参金:父マクシミリアン公爵が5万グルデンを約束

挙式前に、ミュンヘンで皇帝フランツ・ヨーゼフ1世より特別に任命された代理人に、受領証と引き換えに渡される。

フランツ・ヨーゼフ1世の追加出資:10万グルデン

これによりエリザベートの個人財産が増加。

モルゲンガーべ(後朝贈与):フランツ・ヨーゼフ1世が1万2千ドゥカーテン(ドゥカート)を約束

「夫婦の契りの完了後」にエリザベートに贈与された。
これによりエリザベートの個人財産は大きく増加。

エリザベートの年金(未亡人となった場合):10万グルデン

使途:装身具、衣装、喜捨(慈善事業)、雑費のみ。

その他の費用負担(皇帝側)

食事、洗濯、馬、侍従の俸給および手当、家具調度一切を皇帝側がみる。

以上がエリザベートとフランツ・ヨーゼフ1世が交わした夫婦財産契約です。

しかし、いまいちピンとこないですよね。

一つずつ詳しく見ていきましょう。

エリザベートの持参金

これは、エリザベートがウィーンのハプスブルク家に嫁ぐ際に、実家から持参する金額です。
エリザベートの持参金は、5万グルデンとなりました。

これはユーロ換算して約16万ユーロ、日本円にして約2,500万円になります。(於:2024年)

当時の労働者の年収は200〜300グルデン程度なので、これらの金額がいかに高額であったかが分かります。

オーストリア帝国・ハプスブルク家に嫁ぐにしては、非常に質素かもしれません。

しかしヴィッテルスバッハ公家である父マクシミリアン・ヨーゼフ公爵は遊んで暮らしていたにせよ、持参品を見ても精一杯だったと推察されます。

持参金は嫁ぎ先を助けるものでもありましたが、ハプスブルク家となると話は違ったのでしょう。

次の「フランツ・ヨーゼフ1世の追加出費」がそれを語っています。

続いて見ていきましょう。

フランツ・ヨーゼフ1世の追加出資

フランツ・ヨーゼフ1世の愛が本物であると、ここで証明されています。

エリザベートには、皇后の身分にふさわしい宝石、衣装、装身具、金銀製品全てを新たに用意する必要がありました。

これに対して、フランツ・ヨーゼフ1世が、自ら10万グルデンを持参金に加えることにしたのです。

つまり、フランツ・ヨーゼフ1世はエリザベートに大金を渡したことになり、エリザベートの個人資産が増えたことになります。

そしてフランツ・ヨーゼフ1世は、古くからの慣習に倣い、次の約束もするのです。

思わずビックリしてしまう約束を、さらに見ていきましょう。

モルゲンガーべ(後朝贈与)

モルゲンガーべとは、中世ヨーロッパの古くからの慣習です。(詳しくは 為になる用語集 をご覧ください)

フランツ・ヨーゼフ1世は、エリザベートと完全な夫婦となった次の朝に、なんと1万2,000ドゥカーテン(ドゥカートの複数形)の贈与を約束します。

1万2,000ドゥカーテンは、現在のユーロや日本円に換算すると次のようになります。

これにはエリザベートもビックリしたことでしょう。

エリザベートはまだ若く16歳だったので、「愛がお金なの?」と思ったとしても不思議はありません。

しかし、通貨は少しだけ分かりにくい部分です。

次に分かりやすく説明していきます。

エリザベートが得た贈与の通貨・貨幣について

エリザベートは、モルゲンガーべで1万2,000ドゥカーテンという非常に高額な贈与を受け取る契約をしました。

これは上記にもあったとおり、現在のユーロで261万ユーロ、日本円にして3億267万円に換算されます。(於:2024年)

ヨーロッパは陸続きの小国・大国で成り立っていて、民族も多くいる地域です。そのためたくさんの通貨や貨幣が存在していました。

当時大国とされたオーストリア帝国も例外ではなく、時代と共に変わっていきました。

エリザベートが結婚する当時は、1857年の法令により、銀で作られたオーストリア・グルデンが通貨として使われていました。

ドゥカートは他の国でも使われる金の貨幣で、オーストリア・グルデンより価値が大変高かったのです。

価値の高いドゥカートを1万2,000ドゥカーテンも贈与されたエリザベートは、一気に多額の個人資産を得たことになります。

フランツ・ヨーゼフ1世が別に与えた10万グルデンと、モルゲンガーべで贈与された1万2,000ドゥカーテンは、エリザベートの地位や未来の生活も保証したことにもなります。

これはフランツ・ヨーゼフ1世の愛の深さが表された金額でもあり、エピソードでもあるのです。

しかし16歳の若いエリザベートはその時は理解できなかったと推察されます。

そして後に贈与の価値に気づいたエリザベートは、資産をしっかり管理していったことも考えられます。

  • 生涯続いたエリザベートの旅の費用の出資者がフランツ・ヨーゼフ1世であったこと
  • 兄ルートヴィヒ・ヴィルヘルム公爵に金銭の援助をしたこと
  • 死後に残された遺産から、エリザベートは投資などにより多額の資産を保持していたこと

これらがエリザベートの死後に判明したからです。

またそれらの遺産のほとんどが、エリザベートの遺言により、ハンガリーで生まれエリザベート自身が育てた愛娘マリー・ヴァレリーに残されました。

詳しくは「シシィ伝|皇妃エリザベートの生涯」をご覧ください。

>> エリザベートの詳しいエピソード・シシィ伝はこちら(少しずつ製作中)

エリザベートの年金(未亡人となった場合)とその他の費用(皇帝側)

万が一エリザベートが未亡人となった際には、年金として10万グルデンを与えることとされました。

夫婦財産契約は、すでに未亡人になった際のことまで考えて決定していきます。

これには次のとおり使用用途が決められていました。

  • 装身具
  • 衣装
  • 喜捨(慈善事業)
  • 雑費

しかしながら、これら以外の「食事、洗濯、馬、侍従の俸給および手当、家具調度いっさい」は、もちろん夫たる皇帝フランツ・ヨーゼフ1世が支払うものになるのです。

ゾフィー大公妃の年金額も上げられた

ゾフィー大公妃の年金額は、年に2万グルデンでした。エリザベートはゾフィー大公妃の5倍に相当します。

しかし息子であるフランツ・ヨーゼフ1世は、ひっそりと結婚の3日前に母ゾフィー大公妃の年金を5万グルデンに増額しているのです。

これはフランツ・ヨーゼフ1世が、母ゾフィー大公妃に感謝していること、そして言い方は悪いのですが、ゾフィー大公妃に懐柔されていたことに起因しています。

これだけの額が支払われる中で、オーストリア帝国は経済的に苦しくてお金がないのに…!エリザベートは公務をほとんど放棄したのに…!と、少しだけ思ってしまうのは仕方がないかもしれません。

そしてエリザベートの不満や生涯における旅の理由は、金銭ではなかったことも次第に分かっていくのです。

詳しくは「シシィ伝|皇妃エリザベートの生涯」をご覧ください。

>> エリザベートの物語・シシィ伝はこちらから(少しずつ製作中)

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参考文献

このページの参考文献です。

書籍

  • ブリギッテ・ハーマン著/中村康之訳 「エリザベート 美しき皇妃の伝説」 上 ISBN-13 978-4-02-261488-9
  • ブリギッテ・ハーマン著/中村康之訳 「エリザベート 美しき皇妃の伝説」 下 ISBN 978-4-02-261489-6

その他

こちらの参考文献はインターネットのものです。リンク切れに関してはご容赦ください。

全ての参考文献は、こちら からご覧ください。

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