皇妃エリザベートは、結婚前の1ヶ月前に、バイエルン王国における王位継承権を放棄する式典に臨みました。
貴族の女性が嫁ぐためには、新しい夫の家系に従う必要があったのです。
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皇妃エリザベートのバイエルンにおける権利放棄
エリザベートのバイエルンにおける権利放棄は、次のように執り行われました。
- 日付:結婚の1ヶ月前(1854年3月下旬頃)
- 場所:ミュンヘン
- 式典名:「王位継承権放棄」の式典
エリザベートが放棄した権利
皇妃エリザベートが結婚前にバイエルンで放棄した権利は一つです。
- バイエルン王国における相続権
この儀式は、16歳のエリザベートにとって精神的な負担でした。
エリザベートにとって、ウィーンでの窮屈で堅苦しい生活の前触れとなりました。
王位継承権放棄式典の詳細
エリザベートが取り行った王位継承権放棄式典の詳細は次のとおりです。
参列者
- バイエルン王、バイエルン王家と公爵家からの参加者
- 宮廷の高官
- 大臣
エリザベートは多くの参列者が見守る中、天蓋(教会などの祭壇に置かれるかぶせるもの)に覆われた謁見室の壇上で、叔父であるバイエルン王ルートヴィヒ1世の隣に座りました。
これはエリザベートにとって生まれて初めての経験だったとされます。
儀式の流れ
儀式は、非常に厳粛な形で執り行われました。
儀式の流れは次のとおりです。
- エリザベートは調見室の玉座に腰掛けたバイエルン王の隣に座る
- バイエルン王と両親の前で挨拶
- 福音書の置かれたテーブルに近づく
- 大司教が福音書を手渡す
- エリザベートが放棄を宣誓
- 放棄証書に署名
こうしてエリザベートは、故国バイエルンの権利を放棄しました。
逆の立場でしたが、ハプスブルク家出身のフランス王妃マリー・アントワネットも、オーストリア帝国で同じような式典に臨み、フランスに嫁ぎました。
エリザベートも式典から約1カ月後、バイエルン王国・ミュンヘンからオーストリア帝国・ウィーンへ旅立ったのです。
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参考文献
このページの参考文献です。
- ブリギッテ・ハーマン著/中村康之訳 「エリザベート 美しき皇妃の伝説」 上 ISBN 978-4-02-261488-9
- ブリギッテ・ハーマン著/中村康之訳 「エリザベート 美しき皇妃の伝説」 下 ISBN 978-4-02-261489-6
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